第45回SGI提言 気候変動の問題に立ち向かうグローバルな連帯の拡大を 2020年1月26-27日

 

 

【提言-1】世界各地で相次ぐ異常気象の被害

 

創価学会の創立90周年とSGI(創価学会インタナショナル)の発足45周年を記念し、誰もが尊厳をもって安心して生きられる「持続可能な地球社会」を築くための提言を行いたいと思います。

最初に述べておきたいのは、年頭以来、緊張が続くアメリカとイランの対立を巡る情勢についてです。

両国の間で現在続けられている自制を今後も最大限に維持しながら、国際法の遵守と外交努力を通じて事態の悪化を何としても防ぐことを強く求めたい。

そして、国連や他の国々による仲介も得ながら、緊張緩和への道を開いていくことを切に望むものです。

世界では今、異常気象による深刻な被害が相次いでいます。

昨年もヨーロッパやインドが記録的な熱波に見舞われたほか、各地で猛烈な台風や集中豪雨による水害が発生しオーストラリアで起きた大規模な森林火災の被害は今も続いています。

このまま温暖化が進むとさらに被害が拡大するとの懸念が高まる中、昨年9月に国連で気候行動サミットが行われました。

国連加盟国の3分の1にあたる65カ国が、温室効果ガスの排出量を2050年までに実質ゼロにするとの方針を表明しましたが、そうした挑戦を全地球的な規模に広げることが急務となっています。

気候変動は、単なる環境問題にとどまるものではありません。

地球上に生きるすべての人々と将来の世代への脅威という意味で、核兵器の問題と同様に“人類の命運を握る根本課題”にほかならないものです。

そして何より、国連のアントニオ・グテーレス事務総長が強調するように、「私たちの時代を決定づける問題」(国連広報センターのウェブサイト)としての重みを持つものといえましょう。

実際、気候変動の影響は貧困や飢餓の根絶をはじめとする国連のSDGs(持続可能な開発目標)の取り組みを土台から崩しかねないものとなっています。

そこで焦点となるのは、負の連鎖に歯止めをかけることだけではありません。

気候変動の問題は、誰もが無縁ではないものであるがゆえに、問題の解決を図るための挑戦が、これまでにないグローバルな行動の連帯を生み出す触媒となる可能性があり、その成否に「私たちの時代を決定づける問題」の要諦があると訴えたいのです。

気候行動サミットと相前後して、若い世代を中心に時代変革を求める動きが広がったのに加えて、各国の自治体をはじめ、大学や企業が意欲的な取り組みを加速させようとしています。

国際社会を挙げて平均気温の上昇幅を1・5度以内に抑えることを目指す「パリ協定」(注1)の本格運用も、今月から始まりました。

その推進を軸に気候変動の問題に立ち向かう連帯を広げる中で、SDGsのすべての分野を前進させるプラスの連鎖を巻き起こすことに、創設75周年を迎える国連の重要な使命もあるのではないでしょうか。

そこで今回は、グローバルな行動の連帯を強固に築くために必要となる視座について、三つの角度から論じたいと思います。

 

注1 パリ協定

2015年12月、フランス・パリ郊外での気候変動枠組条約の第21回締約国会議で合意された国際協定。18世紀の産業革命前と比べて平均気温の上昇を2度より十分低く保つとともに、1.5度以内に抑える努力をすることを目指す。196カ国・地域が参加し、各国が5年ごとに温室効果ガスの削減目標を定めて、国連に実施状況を報告する仕組みとなっている。

 

【提言-2】困難を抱える人々を置き去りにしない

 

多くの人命と尊厳を脅かす

温暖化と異常気象の被害

 

海面上昇の影響で水没の危機に直面

第一の柱は、困難な状況に陥った人々を誰も置き去りにしないことです。

近年、災害の被害が拡大する中、大半は異常気象によるものとなっています。

日本でも昨年、台風15号や台風19号によって各地が猛烈な暴風雨に見舞われ、大規模な浸水被害や停電と断水による日常生活の寸断が起きましたが、気候変動の影響は先進国か途上国かを問わず広範囲に及んでいます。

その中で世界的な傾向として懸念されるのは、国連が留意を促しているように、その影響が、貧困に苦しむ人々や社会的に弱い立場にある人々をはじめ、女性や子どもと高齢者に強く出ていることです。

そうした人々にとって、異常気象の被害を避けることは難しく、生活の立て直しも容易ではないだけに、十分な支援を続けることが求められます。

また、気候変動が招く悲劇として深刻なのは、住み慣れた場所からの移動を余儀なくされる人々が増加していることです。

中でも憂慮されるのが、太平洋の島嶼国の人々が直面する危機です。

海面上昇による土地の水没が原因であるために、一時的な避難では終わらず、帰郷できなくなる可能性が高くなるからです。

私が創立した戸田記念国際平和研究所では、この太平洋の島嶼国における気候変動の影響に焦点を当てた研究プロジェクトを、2年前から進めてきました。

そこで特に浮き彫りになったのは、島嶼国で暮らす人々にとって「土地とのつながり」には特別な意味があり、その土地の喪失は自分自身の根源的なアイデンティティーを失うことに等しいという点でした。

他の島などに移住して“物理的な安全”が確保できたとしても、自分の島で暮らすことで得てきた“存在論的な安心感”は失われたままとなってしまう。

ゆえに、気候変動の問題を考える際には、こうした抜きがたい痛みが生じていることを十分に踏まえなければならない――というのが、研究プロジェクトの重要なメッセージだったのです。

「土地とのつながり」を失う悲しみは、これまでも地震や津波のように避けることが難しい巨大災害によって、しばしば引き起こされてきたものでした。

それは、家族や知人を突然亡くした辛さとともに耐えがたいものであり、私も東日本大震災の翌年(2012年)に発表した提言で、その深い悲しみを社会で受け止めることが欠かせないと強調した点でもありました。

「樫の木を植えて、すぐその葉かげに憩おうとしてもそれは無理だ」(『人間の土地』堀口大學訳、『世界文学全集』77所収、講談社)との作家のサン=テグジュペリの含蓄のある言葉に寄せながら、自分の生きてきた証しが刻まれた場所や、日々の生活の息づかいが染みこんだ家を失う

 

ことの心痛は計り知れないものがある、と。

ともすれば気候変動に伴う被害を巡って、数字のデータで表されるような経済的損失の大きさに目が向けられがちですが、その陰で埋もれてきた“多くの人々が抱える痛み”への眼差しを、問題解決に向けた連帯の基軸に据えることが大切ではないでしょうか。

マクロ的な数値の陰で一人一人が直面している窮状が埋もれてしまう構造は、近年、エスカレートする貿易摩擦の問題においても当てはまるのではないかと思います。

自国の経済の回復を図るために、関税の引き上げや輸入制限などを行う政策は、「近隣窮乏化政策」と呼ばれます。しかし、グローバル化で相互依存が深まる世界において、その応酬が続くことは、「自国窮乏化」ともいうべき状態へと、知らず知らずに陥ってしまう危険性もあるのではないでしょうか。

実際、貿易摩擦の影響で多くの中小企業が業績悪化に陥ったり、雇用調整の圧力が強まって仕事を失う人々も出てきています。

貿易収支のような経済指標の改善は重要な課題だとしても、自国の人々を含め、多くの国で弱い立場にある人々に困難をもたらす状況が続くことは、世界中に不安を広げる結果を招くと思えてなりません。

昨年の国連総会でグテーレス事務総長も、深刻な脅威に直面する場所を訪れた時に出会った人々――南太平洋で海面上昇のために暮らしが押し流されることを心配する家族や、学校と家に戻ることを夢見る中東の若い難民、アフリカで生活の再建に苦労するエボラ出血熱の生存者などの姿を挙げながら、次のような警告を発していました。

「極めて多くの人々が、踏みつけられ、道をふさがれ、取り残されるのではないかという恐怖を感じています」(国連広報センターのウェブサイト)と。

私も同じ懸念を抱いており、グローバルな課題といっても、一人一人の生命と生活と尊厳が脅かされている状況にこそ、真っ先に目を向ける必要があると訴えたいのです。

 

牧口初代会長が警鐘を鳴らした

他者を顧みない競争の弊害

 

『人生地理学』で提起された問題

気候変動も貿易摩擦も、経済と社会のあり方に深く関わる問題といえますが、この古くて新しい問題について考える時に思い起こされるのは、私ども創価学会の牧口常三郎初代会長が20世紀初頭に著した『人生地理学』で提起していた視点です。

牧口会長は、武力による戦争が「臨時的」に引き起こされるものであるのに対し、経済的競争は「平常的」に行われる特性があると指摘した上で、こう論じていました。

「彼(=武力による戦争)が遽然として惨劇の演ぜらるるが故に意識的に経過するに反して、此(=経済的競争)は徐々として緩慢に行わるるが故に無意識的に経過するにあり」(『牧口常三郎全集』第2巻、第三文明社。注<=>を補い、現代表記に改めた。以下同じ)

牧口会長が強調したかったのは、戦争の残酷さは明白な形で現れるために多くの人々に意識され、交渉や仲裁によって被害の拡大を食い止める余地が残されているが、経済的競争はそうではないという点です。

つまり、経済的競争は自然的な淘汰に半ば一任されるような形で無意識的に休むことなく続けられるために、社会における日常的な様相と化してしまう。

そのために、人々を苦しめる状況や非人道的な事態が生じても往々にして見過ごされることになる、と。

当時、世界では帝国主義や植民地主義の嵐が吹き荒れ、他国の犠牲の上に自国の繁栄を追い求める風潮が広がっていました。

こうした風潮が当たり前のようになってしまえば、“ある程度の犠牲が生じてもやむを得ない”とか“一部で被害が出ても自分たちには関係がない”といった受け止めが社会に沈殿することになりかねない。

その結果、弱肉強食的な競争が歯止めなく進む恐れがあり、牧口会長は「終局の惨劇においては却って遙かに烈甚なるにあり」(同)と警鐘を鳴らしましたが、その危険性は、当時とは比べものにならないほどグローバル化が進んだ21世紀の世界において、格段に増しているのではないでしょうか。

もとより牧口会長は、社会の営みにおける競争の価値そのものは否定しておらず、切磋琢磨があってこそ新しい活力や創造性は豊かに育まれると考えていました。

あくまで問題視したのは、世界を生存競争の場としか見ずに、自分たちだけで生きているかのような感覚で振る舞い続け、その結果に無頓着でいることだったのです。

 

「共同生活」を意識的に行う

牧口会長の思想の基盤には、世界は「共同生活」の舞台にほかならないとの認識がありました。

その世界観の核となった実感を、牧口会長は『人生地理学』の緒論で、自らの経験を通して、こう述べています。

――子どもが生まれて母乳が得られなかった時、粗悪な脱脂粉乳に悩まされたが、医師の薦めでスイス産の乳製品にたどりつくことができ、ことなきを得た。スイスのジュラ山麓で働く牧童に感謝する思いだった。

また、乳児が着ている綿着を見ると、インドで綿花栽培のために炎天下で働く人の姿が思い浮かぶ。

平凡な一人の乳児も、その命は生まれた時から世界につながっていたのだ――と。(趣意。同全集第1巻)

出会ったこともない世界の人々への尽きせぬ感謝の思いが示すように、牧口会長は「共同生活」という言葉を世界のあるべき姿としてではなく、見落とされがちな世界の現実(実相)として位置付けていました。

世界は本来、多くの人々の営みが重なり合い、影響を与え合う中で成り立っているにもかかわらず、その実相が見失われる形で競争が続けられることになれば、深刻な脅威や社会で生じた歪みの中で苦しんでいる人々の存在が目に映らなくなってしまう。

だからこそ、「共同生活」を意識的に行うことが重要となるのであり、「自己と共に他の生活をも保護し、増進せしめんとする」(同全集第2巻)生き方を社会の基調にする必要があるというのが、牧口会長の主張の眼目だったのです。

経済発展と温暖化防止についても両立の余地がないわけではないと思います。

2014年からの3年間は世界経済の成長率が3%を超えていたものの、温室効果ガスである二酸化炭素の排出量は、ほぼ横ばいの状態が続きました。

その後、残念ながら排出量は再び増加に転じましたが、再生可能エネルギーの導入やエネルギー効率の改善のような「自己と共に他の生活をも保護し、増進せしめんとする」方法を意欲的に選び取る中で、経済と社会の新しいあり方を追求していくべきではないでしょうか。

私は、この「共同生活」を意識的に行う上での土台となるのは、深刻な脅威にさらされているのは自分たちと変わらない人々であるとの認識を持つことだと考えます。

この点、経済的競争と深く関わる貧困の問題について、マクロ的な視座からではなく、人々の置かれた状況を踏まえて実証的な研究を進めてきた経済学者に、マサチューセッツ工科大学のアビジット・バナジー教授とエスター・デュフロ教授がいます。

両教授は、ハーバード大学のマイケル・クレマー教授と共に昨年のノーベル経済学賞を受賞しており、『貧乏人の経済学』(山形浩生訳、みすず書房)と題する著作の中で、次のような点を強調していました。

世界の最貧困層と呼ばれる人々も、「ほとんどあらゆる点でわたしたちみんなと何も変わらない」のであり、他の人々と比べて合理性の面で劣るわけではない、と。

一方で豊かな国の人々は、安全な水や医療のような「眼に見えないあと押し」に囲まれて生活しているのに、「ただそれがシステムにしっかり埋めこまれているため、気がついていないだけ」であると指摘しました。

また、貧しい人々の状況について「そうでない人よりもリスクの多い暮らしを送るにとどまりません。同じ規模の不運でも、受ける被害はずっと大きいのです」と述べ、人々を紋切り型で判断せず、置かれた状況に目を向ける必要があると訴えていたのです。

 

苦悩に沈む人を一人のままにしない

釈尊が貫いた「同苦」の精神

 

不幸の淵から共に立ち上がる

人々と向き合うにあたって、階層や集団などの社会的なカテゴリーにとらわれず、今どのような状態にあるのかを最優先して見つめる眼差しは、私どもが信奉する仏法においても強調されていたものでした。

釈尊の言葉に、「身を禀けた生きものの間ではそれぞれ区別があるが、人間のあいだではこの区別は存在しない。

 

人間のあいだで区別表示が説かれるのは、ただ名称によるのみ」(『ブッダのことば』中村元訳、岩波書店)とあります。

その趣旨は、人間には本来、区別はないのに、社会でつくられた分類に応じて名前が付けられてきたのにすぎないことを、浮き彫りにする点にありました。

実際、釈尊は重い病気を患った人に対して、自ら看病したり、励ましの言葉をかけていましたが、そこには相手の社会的立場の区別はなかった。

その対象は、通りがかった場所で目にした修行僧から、かつて釈尊の命を狙ったことのある阿闍世王までさまざまでした。

しかし、そこには共通点がありました。修行僧が仲間たちから見放されて一人で病床に臥せっていたのと同じように、阿闍世王も深刻な難病にかかって誰も近づかないような状態に陥っていたからです。

釈尊は修行僧に対し、汚れていた体を洗い、新しい衣類を用意して着替えさせました。

また阿闍世王に対して、釈尊は自身が余命いくばくもないことを感じていたにもかかわらず、あえて阿闍世王と会う時間をつくり、法を説くことで病状の回復を後押ししたのです。

私はこうした釈尊の振る舞いに、“苦しんでいる人を決して一人のままにしない”“困難を一人で抱えたままの状態にしない”という、仏法の「同苦」の精神の源流を見る思いがしてなりません。

仏法の視座から見れば、「弱者」という存在も初めからあるのではなく、社会でつくられ、固定化されてしまうものにすぎない。

たとえ、「弱者」と呼ばれる状態に陥ったとしても、困難を分かち合う人々の輪が広がれば、状況を好転させる道を開くことができる。同じ貧困や病気に直面しても、周囲の支えがあることで生の実感は大きく変わるというのが、仏法の思想の核をなしています。

牧口会長の言う「共同生活」を意識的に行う生き方も、困難を抱えた人々を置き去りにしないことが基盤になると思うのです。

 

国連の使命は「弱者の側に立つ」中に

2008年に世界を激震させた金融危機が起きた時、国連で事務次長などを歴任したアンワルル・チョウドリ氏との対談で焦点となったのも、経済的に厳しい状況にある国々や、社会的に弱い立場にある人々への支援を最優先にすることの重要性でした。

その際、チョウドリ氏は、気候変動をはじめ、金融の極端な逼迫や商品価格の急激な変動といった外的ショックを緩和するためのグローバルなセーフティーネット(安全網)を設ける必要性を訴えていました。

私もまったく同感であり、21世紀の国連に強く求められる役割は「弱者の側に立つ」ことにあるとの点で意見が一致したのです。

チョウドリ氏は、国連で2001年に新設された「後発開発途上国ならびに内陸開発途上国、小島嶼開発途上国のための高等代表事務所」で初代の高等代表に就任し、国際社会から置き去りにされがちだった国の人々のために行動してきた経験を持つ方でした。

その氏が、「一番嬉しかったのは、最も弱い立場にある国々の状況が大きく改善したことを知るときでした」(『新しき地球社会の創造へ』潮出版社)と述懐されていたことに、私は深い感銘と共感を覚えました。

なぜなら、創価学会も草創期に“貧乏人と病人の集まり”と揶揄されてきた歴史があり、社会から見捨てられてきた名もなき人々が互いに励まし合い、不幸の淵から共に立ち上がってきたという出自を、何よりの誉れとしてきたからです。

どれだけ冷笑されても、「私は、やるべきことをやっていきます。それは、貧乏人と病人、悩み苦しんでいる人々を救うことです。そのために、声を大にして叫ぶのです」(『戸田城聖全集』第4巻)と信念の行動を貫いたのが、

 

牧口初代会長と共に創価学会の民衆運動を立ち上げた戸田城聖第2代会長でした。

 

ハマーショルドが第九に託した思い

その戸田会長が熱願としていたのが、地球上から“悲惨”の二字をなくすことでした。それは、第2次世界大戦で多くの国の民衆が戦火に見舞われ、塗炭の苦しみを味わった悲劇を繰り返してはならないとの思いに発したものでした。

それだけに、二度に及んだ世界大戦の痛切な反省に基づいて創設された国連に限りない期待を寄せ、“世界の希望の砦”として守り育てていかねばならないと訴えていたのです。

私が60年前に第3代会長に就任した時、世界平和への行動を本格的に開始するにあたって、最初の一歩としてアメリカに向かい、国連本部に足を運んだのも、師の思いを受け継いでのことにほかなりません。

以来、私どもは国連に対する支援を社会的な活動の大きな柱に据えて、志を同じくする人々や多くのNGO(非政府組織)との連帯を強めながら、地球的な課題の解決を前進させるための行動を続けてきました。

国連の歴史を繙くと、私が1960年にニューヨークを訪れた直後の国連デー(10月24日)に、当時のダグ・ハマーショルド事務総長の提案で、ベートーベンの交響曲第九番の全楽章の演奏が国連本部で行われたことが記されています。

それまで国連で“第九”が演奏される時は最後の第四楽章のみの演奏が恒例となっていましたが、国連デーの15周年を記念して、全楽章を通しての演奏が行われたのです。

席上、ハマーショルド事務総長は次のようにスピーチしました。

「交響曲第九番が始まると、我々は激しい対立と陰鬱な脅威に満ちたドラマに入っていく。しかしベートーベンは我々をその先へと誘い、第四楽章の冒頭で我々は、最終盤における統合に向けた橋渡しとして、さまざまな主題が繰り返されるのを再び耳にする」と。

その上で、楽曲の展開を人類の歴史になぞらえつつ、「最初の三つの楽章の後に、いつの日か、第四楽章が続いて現れることになるとの信念を、我々は決して失うことはないだろう」との希望を述べたのです。

ハマーショルド事務総長のこの信条は、牧口会長が『人生地理学』で示していた時代展望と響き合うものでもありました。

20世紀の初頭に牧口会長が危惧を呈していた、多くの人々の犠牲の上に自らの安全と繁栄を追い求めるような「軍事的競争」や「政治的競争」や「経済的競争」は、残念ながら今なお世界から消え去ってはいません。

しかし“第九”の第四楽章での合唱が「おお友よ、こんな調べではなく!」と始まるように、従来の競争のあり方を転換させるアプローチを生み出すことが必ずできるはずです。

牧口会長はその骨格を、「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」(前掲『牧口常三郎全集』第2巻)との理念に基づく人道的競争として提起していましたが、気候変動の問題に立ち向かうグローバルな行動の連帯を広げることで、人類史の新たな地平を開くパラダイムシフト(基本軸の転換)を推し進めるべきであると、私は強く呼び掛けたいのです。

そして、その挑戦の主旋律となるのが、「困難な状況に陥った人々を誰も置き去りにしない」との思いではないでしょうか。

その主旋律をあらゆる場所で力強く響かせていく中でこそ、気候変動という未曽有の危機も、時代の潮流を転換させるチャンスに変えることができるに違いないと信じるのです。

 

【提言-3】危機の回避だけでなく建設の挑戦を

 

利己主義や悲観主義を乗り越え

大切なものを共に守る世界を

 

パリ協定の運用が今月からスタート

次に第二の柱として提起したいのは、危機感の共有だけでなく、建設的な行動を共に起こすことの重要性です。

そもそも地球温暖化に対する警鐘は1980年代から鳴らされてきたもので、気候変動枠組条約が採択されたのは、ブラジルのリオデジャネイロでの国連環境開発会議(地球サミット)が開催される直前の92年5月でした。

その後、先進国を対象にした温室効果ガスの排出量を削減する枠組みとして「京都議定書」が97年に採択され、新興国や途上国も含めた枠組みとして「パリ協定」が合意をみたのは2015年12月でした。

全地球的な枠組みが成立した背景には、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が積み上げてきた科学的検証を通じて、温暖化がもたらす影響への認識が広がってきたのに加えて、異常気象が各地で相次ぎ、目に見える脅威としての危機感が募ってきたことがあるといえましょう。

いよいよ今月から「パリ協定」の本格運用が始まりましたが、その前途には容易ならざる課題が立ちはだかっています。

IPCCの特別報告書によれば、温暖化が現在のペースで進むと、早ければ2030年に、世界の平均気温は「パリ協定」が抑えようとしている1・5度の上昇幅を突破する恐れがあり、各国の取り組みを即座に加速させねばならない状況があるからです。

事態を打開するためには、危機感の共有に加えて、多くの人々の積極的な行動を鼓舞するような、連帯の結集軸となるものを掲げる必要があるのではないでしょうか。

脅威を強調するだけでは、被害が直接及ばない限り、関心の輪が広がりにくい傾向がみられます。また、脅威を深刻に受け止めた場合でも、その規模の大きさを前にして“自分が何かをしたところで状況は変わらない”との無力感に陥る可能性があるからです。

 

ボールディング博士の問題提起

この点、課題の分野は異なりますが、平和学者のエリース・ボールディング博士が、私との対談の中で印象深いエピソードを紹介してくださったことを思い出します。

――博士が1960年代に軍縮に関する会議に出席した時、「もし完全な軍縮を達成することができたら、どのような世界になるのでしょうか」と質問したことがあった。 

そこで返ってきた答えは、次のような思いもよらないものだった。

「私たちにはわからない。私たちの仕事は、軍縮が可能であることを説くことにあると思う」――と。

このような経験を踏まえて博士は、「平和な社会がどのような社会であるか」を具体的に思い描くことなくして、平和を求める運動を力強く結集するのは難しいのではないかと問題提起していたのです。(『「平和の文化」の輝く世紀へ!』、『池田大作全集』第114巻所収)

非常に重要な観点であり、私どもSGIもICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)と共同制作し、2012年から世界90都市以上で行ってきた「核兵器なき世界への連帯」展を通し、「平和な社会」のビジョンを幅広く喚起することに力を入れてきました。

ともすれば核兵器の問題は人類の破滅のイメージと結びつくために、できれば直視したくないものとして受け止められがちです。

一方、この展示では、訪れた人々に“あなたにとって大切なものとは?”との問いを投げかけることから始まります。

その問いかけを通し、自分にとって大切なものだけでなく、他の人々にとって大切なものを守るには、どのような世界を築いていけばよいのかという「建設」への思いを共に育むことに主眼を置いてきたのです。

長らく不可能と言われてきた核兵器禁止条約が2017年に採択をみたのも、非人道性に対する懸念の高まりと相まって、核兵器の禁止を通して築かれる世界のビジョンの輪郭が浮かび上がる中で、連帯の裾野が大きく広がるようになったからだと私は考えます。

禁止条約で強調されているのは、核兵器のもたらす危険が「すべての人類の安全」に関わるとの警鐘だけではありません。

前文でその輪郭が示されているように、禁止条約の精神の基底には、核兵器の禁止を前に進めることは、そのまま、人権とジェンダー平等が守られる世界を築き、すべての人々と将来世代の健康を保護する世界への道を開き、地球環境を大切にする世界にもつながっていくとのビジョンが

 

描かれています。

同様に、気候変動の問題に立ち向かう上でも、平均気温の上昇を抑えるという数値目標の追求だけでなく、問題解決を通して実現したい世界のビジョンを分かち合いながら、その建設に向かって意欲的な行動を共に起こすことが肝要ではないでしょうか。

こうした建設の挑戦の中に、自分たちが被害を受けなければ問題ないと考える“利己主義”でも、課題の困難さに圧倒されて行動をあきらめてしまう“悲観主義”でもない、第三の道があると訴えたいのです。

私どもSGIが、国連環境開発会議(地球サミット)が行われた1992年に開設したブラジルの「創価研究所――アマゾン環境研究センター」で、熱帯雨林の再生や生態系を保全する活動を続ける一方で、国連の「持続可能な開発のための教育の10年」を支援する一環として開催してきた展示

 

に、「変革の種子」や「希望の種子」とのタイトルを付けてきたのは、ゆえなきことではありません。

誰もが今いる場所で、持続可能な地球社会の“建設者”となることができるのであり、一つ一つの行動が世界に尊厳の花を咲かせる「変革の種子」となり、「希望の種子」になるとの思いが込められています。

 

法華経が説く国土変革のドラマ

自分の足元から希望を灯す

 

娑婆即寂光の法理

脅威に対して建設的に向き合うこのアプローチは、仏法の思想に根差したものです。

釈尊の教えの精髄が説かれた法華経には、「娑婆即寂光」という法理があります。

「娑婆」とはサンスクリット語の“サハー(堪忍)”を漢語にしたもので、「娑婆世界」という言葉には、私たちが生きる世界は“さまざまな苦しみに満ちた世界”である

 

という釈尊の洞察が込められていました。

釈尊がこの洞察を土台にしつつも、「私は二十九歳で善を求めて出家した」(中村元『釈尊の生涯』平凡社)と宣言したように、それは厭世的な認識ではなく、根底には“人々が苦悩に沈むことなく幸福に生きるにはどうすれば良いのか”との真摯な問いが脈打っていました。

釈尊の評伝を思想的な観点からまとめあげた哲学者のカール・ヤスパースが、「仏陀が教えるのは認識体系ではなく、救済の道である」(『佛陀と龍樹』峰島旭雄訳、理想社)と述べたのは、その本質を突いたものといえましょう。

そこを外して、苦しみに満ちた世界という認識だけが先行すると、世界との向き合い方は誤った方向に傾きかねない。「自分だけが苦しみから解放されれば良い」といった考えや、「社会の厳しい現実として諦めるほかない」との無力感に陥ったり、「誰かが解決してくれるのを待つしか

 

ない」といった受け身的な生き方に流される恐れがあるからです。

釈尊の本意は、娑婆世界は“堪え忍ぶしかない場所”ではなく、“人々が願ってやまない世界(寂光土)を実現する場所”であると説き明かすことにありました。

この法理が具体的なイメージをもって描かれているのが、法華経の見宝塔品です。

そこでは、釈尊の説法を聞くために集まった大勢の人々がいた場所、すなわち娑婆世界の大地から、尊極の光を放つ巨大な宝塔が涌出したことをき

 

っかけに、娑婆世界が寂光土へと変わっていく様子を人々が目の当たりにする場面が描かれています。

13世紀の日本で仏法を展開した日蓮大聖人は、この「娑婆即寂光」の法理の要諦について、「此を去って彼に行くには非ざるなり」(御書781ページ)と説きました。

つまり、人々が願い求める理想の「寂光土」は、どこか別の場所にあるのでも、手の届かない遠い場所にあるのでもない。

自分たちが今いる場所をそのまま「寂光土」として輝かせていく行動を広げることに、法華経のメッセージの核心がある――と。

大聖人の時代の日本でも、戦乱に加えて、地震や台風などの災害や疫病が相次ぎ、多くの民衆が苦悩に沈んでいました。

さらに当時の社会では、自分の殻に閉じこもることで現実から目を背けさせる思想や、人間は非力な存在にすぎないとの諦観を説く思想が蔓延しており、それがまた人々から生きる気力を奪う悪循環を生んでいました。

その中にあって大聖人は、法華経で説かれる国土変革のドラマの起点となった宝塔の出現について、「見大宝塔とは我等が一身なり」(同740ページ)と述べ、苦しみに満ちた世界を照らした宝塔と同じ尊極の光が、自分にも他の人々にも具わっていることに目覚めることが、人間の限りない力を引き出す源泉になると説きました。

そして、一人一人が自らの生命を宝塔のように輝かせ、社会を希望で照らす行動を広げる中で、自分たちが望む世界を自らの手で建設することの重要性を訴えたのです。

 

ケニアから世界に広がった植樹運動

以前(2005年2月)、ケニアの環境運動家のワンガリ・マータイ博士と、自分の足元から新しい世界の建設に向けた希望を灯す挑戦について語り合ったことがあります。

たった7本の苗木の植樹から始まった「グリーンベルト運動」の思い出を振り返りながら、博士はこう述べていました。

「未来は未来にあるのではない。今、この時からしか、未来は生まれないのです。将来、何かを成し遂げたいなら、今、やらなければならないのです」と。

マータイ博士が春風のような笑顔をひときわ輝かせたのは、創価大学の学生たちが「グリーンベルト運動」の愛唱歌を博士の故郷のキクユ語で歌って歓迎した時でした。

「ここは私たちの大地 私たちの役割は ここに木を植えること」

歌声に合わせて全身でリズムをとり、一緒に口ずさむ博士の姿を前にして、植樹運動がケニアからアフリカの国々に広がる原動力となった“建設の挑戦を進める喜び”がここにあると、感じられてなりませんでした。

思い返せば、博士と対談したのは、温室効果ガス削減の最初の枠組みとなった「京都議定書」の発効から2日後のことでした。

「京都議定書」の発効のような、歴史の年表に刻まれる出来事に比べると、マータイ博士がケニアで最初に始めた行動は目立たないものだったかもしれない。

しかし、博士が自分の足元で灯した希望の光は、歳月を経るごとに共感の輪を広げて、国連環境計画のキャンペーンなどの多くの植樹運動につながり、博士の逝去後も続けられる中で、現在まで150億本にものぼる植樹が世界で進められてきました。

また、昨年の国連の気候行動サミットでも、パキスタンやグアテマラなど多くの国が、合計で110億本以上の植樹を今後進めることを誓約したのです。

今も忘れ得ぬマータイ博士の言葉があります。

「私たちは、自らの小さな行いが、物事を良い方向に変えていることを知っています。もしこの行いを何百万倍にも拡大することができたなら、私たちは世界を良くすることができるのです」

“建設の挑戦を進める喜び”がどれだけの力を生み出すのかを、実感をもって訴えかける言葉ではないでしょうか。

SGIの「希望の種子」展では、このマータイ博士をはじめ、大気汚染の防止に取り組んだ未来学者のヘイゼル・ヘンダーソン博士など、自分の足元から行動の輪を広げた人々の挑戦を紹介してきました。

マータイ博士が行動を始めたきっかけは、故郷のシンボルとして大切に感じていたイチジクの木が経済開発のあおりで伐採されたのを知ったことでした。

また、ヘンダーソン博士が立ち上がった理由は、ニューヨークで深刻化していた大気汚染のために、幼い娘さんの肌がすすで汚れるようになったことでした。

いずれも、その原点には心に受けた強い痛みがあった。

 

だからこそ博士たちは、「世界で欠けていてはならない大切なもの」が何かを、身に染みて感じたのだと思います。

二人は、その痛みを痛みのままで終わらせなかった。

マータイ博士が“木々を植えることは貧困と飢えのサイクルを断ち切り、平和を育む”との思いを胸に植樹運動を広げ、ヘンダーソン博士が“きれいな空気を子どもたちのために取り戻したい”と願い、仲間と力を合わせて行動を起こしたように、自分たちが望む世界を現実にするための「建設」のエネルギーへと昇華させていったのです。

こうした数々の挑戦の物語を紹介する「希望の種子」展で最後に現れるのは、たくさんの葉をつけた1本の木のイラストを背景に空白が広がっているパネルです。

その“空白”は、一人一人が今いる場所で挑戦できることは何かを考え、その行動を「希望の種子」として世界に植えることを呼び掛けるメッセージとなっているのです。

 

国連創設75周年を記念する取り組み

折しも国連では、創設75周年を記念して、「UN75イニシアチブ」と題する取り組みが今月からスタートしました。

 

これは、人類が直面する多くの課題を見据えながら、「どのようにすれば、より良い世界を建設できるのか」について対話と行動を喚起するための取り組みです。

さまざまな形で対話の場を設け、特に国際社会から置き去りにされがちだった人々に重点を置く形で、世界中の人々が抱いている希望や恐怖に耳を傾けるとともに、その経験から学ぶことが主眼となっています。

こうした対話を通じて、国連創設100周年にあたる2045年に向けたグローバルなビジョンを描き出し、実現に向けた協働的な行動を推進することが目指されているのです。

国連では、対話の中心課題の一つとして気候変動を挙げています。

この絶好の機会を逃すことなく、それぞれの人々が深刻な脅威や課題を前にして感じている思いを、より良い世界の建設に向けてのポジティブな挑戦を生み出す糧にすることが大切ではないでしょうか。

気候変動による被害を受けてきた人々をはじめ、多くの人々の思いを、一つ一つのピースとして持ち寄ることを通し、今後築いていきたい世界のビジョンについて、人間としての実感に根差したイメージを共に重ね合わせていく――。

その対話を通じた共同作業と、ビジョンに対する共感の広がりがあってこそ、温暖化防止の取り組みを勢いづかせながら、持続可能な地球社会への確かな軌道を敷くことができると確信するのです。

 

【提言-4】 SDGsの推進へ「行動の10年」を

 

2030年に向けてSDGsに取り組む

「行動の10年」を青年が推進

 

新しい国連の姿を示したサミット

第三の柱は、SDGsの達成期限である2030年に向けて国連が立ち上げた「行動の10年」の一環として、気候変動問題に焦点を当てた青年行動の10年ともいうべき運動を巻き起こしていくことです。国連で昨年9月、ユース気候サミットが行われました。

 

各国首脳による気候行動サミットに先駆けて開催されたものですが、新しい国連の姿を見る思いがしてなりませんでした。

そこには次の特徴があったからです。

 @140カ国・地域以上から集った青年たちが、各国を代表する立場というよりも、同世代の一員として参加していたこと。

 Aさまざまな討議における議事進行の多くを、国連の関係者ではなく、青年たちが担ったこと。

 B登壇者が順番にスピーチをすることが中心となっている国連の一般的な会議とは異なり、活発な議論が重視されたこと。

そして何といっても象徴的だったのは、国連のグテーレス事務総長が「キーノート・リスナー」を務めたことでした。

オープニング行事に出席した事務総長は、青年たちの声を真正面から受け止めながら、議論を支える役割を務めたのです。

かつて私は2006年に発表した国連提言で、「毎年の国連総会の開会前に、世界の青年の代表を招いた『プレ・ミーティング』を行い、青年たちの意見に各国の首脳が耳を傾ける機会を設けることを検討してみてはどうか」と提案したことがあります。

ユース気候サミットは、その先見的なモデルとなるものと思えてなりません。

加えて、世界的な動きとして注目されるのが「グローバル気候ストライキ」です。サミットが開催された時にも、温暖化防止の緊急行動を求める行進が185カ国で実施され、760万人以上が参加しました。

運動の発端となったのは、スウェーデンの高校生であるグレタ・トゥーンベリさんが、気候変動の対策強化を訴えて2年前の夏に始めたストライキでした。

その後、瞬く間に若い世代の間で共感を呼び起こす中で、あらゆる世代の人々が参加するようになったのです。

パリ協定の達成を目指すNGOの「ミッション2020」で議長を務め、サミットの開催に尽力したクリスティアナ・フィゲレス氏(気候変動枠組条約の前事務局長)は、青年たちが怒りを示しているのは明確な理由があるとして、こう述べていました。

「ストライキに参加している人々、特に青年たちは科学を理解し、気候変動が自分たちの人生に及ぼす影響を理解するとともに、気候変動の問題に対処することは可能であることを知っているからだ」と。

つまり、青年たちが変革を不可能と考えていないからこそ温暖化防止の遅れに怒りを示しているのであり、今後、この「怒り」と「楽観主義」が結びつく中で、より大きな力が生まれることに対して期待を寄せたのです。

創価学会の総本部を昨年2月に訪問されたフィゲレス氏は、「聖教新聞」への寄稿でも、困難視されていたパリ協定を合意に導いた自らの経験を振り返りながら、「楽観主義なしに勝利をもたらす道はない」と強調していました。

私も、青年たちの現実変革への思いが、不屈の楽観主義と相まった時の可能性は計り知れないものがあると思えてなりません。

青年の行動は、多くの人々や団体の行動を加速させる波動を広げています。

一つは、世界の大学の動きです。

大学で生じる温室効果ガスの排出量を実質ゼロにすることや、気候変動に関する研究に力を入れ、学内や地域で持続可能性に関する教育を強化することを約束する宣言に対し、賛同する大学が増えています。

環境問題に取り組む多くの高等教育機関のネットワークがこれに加わり、所属する大学などは累計で1万6000以上に達しています。

もう一つは、各国の自治体の動きで、温室効果ガスの削減に意欲的に取り組む「世界気候エネルギー首長誓約」の輪が138カ国の1万以上の自治体に広がっています。

ユース気候サミットで登壇したアルゼンチンの学生のブルーノ・ロドリゲスさんは、「気候変動の問題で変化を起こす若者たちは、新たな集団意識を築きつつある」と述べましたが、まさに若い世代の息吹がプラスの連鎖を起こす源泉となってきているのです。

 

ペッチェイ博士の人生における転機

新しい時代への胎動を前にして脳裏に浮かぶのは、ローマクラブの創設者であるアウレリオ・ペッチェイ博士が述べていた、「公正で民主的な道理を働かせれば、若者たちの声を聞くのが筋なのである」(『未来のための一〇〇ページ』大来佐武郎監訳、読売新聞社)との言葉です。

ローマクラブは、「持続可能性」の概念を形づくる契機となった地球の有限性への警鐘を、半世紀ほど前に鳴らしたことで知られますが、その中心者だったペッチェイ博士が特に重視していたのが、「若い世代の想像力と行動組織にもっと活動の場を与えること」(同)でした。

博士とは1975年の出会い以来、5回にわたって対談しましたが、その必要性を強く訴えておられたことが忘れられません。

若者たちの声を聴くのは、オプションでもベターでもない。本当に世界のことを考えるならば、当然踏まえなければならない“道理”であり、外せない“筋”である――というのが、博士の信念だったのです。

企業の経営者だった博士が、「報われるところが大きく、刺激に富むもの」と感じていた仕事から離れ、ローマクラブを立ち上げる決意をしたのは、自らが手がけてきた仕事に対し、年々、次のような思いが去来するようになったからだったといいます。

(『人類の使命』大来佐武郎監訳、ダイヤモンド社。以下、同書を引用・参照)

「これらの個々の事業や計画にすべての努力を集中するのは、結果的に無意味な行動となるおそれがあるということを、私はしだいに悟るようになった。それらの個々の活動が進められるより広い母体――つまり世界の地球的状況――は、一貫して悪化の道をたどっていたからである」

ローマクラブはこの博士の危機感に基づいて68年に創設されましたが、最初の2年近くは成果をほとんど得られませんでした。

地球が直面する課題について懸命に訴えても、「あたかも他の惑星についての問題であるかのように思われるばかりであった」と。

活動の意義を称賛する人がいても、「それは自らの利害領域や日常活動の妨げとならない限りにおいてであった」というのです。

ローマクラブの名を世に知らしめた『成長の限界』(※注2)が発刊されたのは、活動開始から4年が経過した72年でした。

反響は大きく、地球の有限性への認識は広がったものの、内容が悲観的すぎるとの批判はやむことはありませんでした。

しかし、博士は決して意気消沈することはありませんでした。

「重要なことは、正しい方向に向かって速やかに真剣な第一歩を踏み出すことである」との揺るぎない確信があったからであり、人間が持つ限りない可能性への信頼をどこまでも手放さなかったからです。

ペッチェイ博士と初めてお会いしたのは、SGIの発足からまもない頃(75年5月)でした。

『成長の限界』が発刊された翌年(73年5月)にロンドンへ向かい、歴史家のアーノルド・J・トインビー博士との2年越し40時間に及ぶ対話を終えた時、こうした対話を私の友人たちとも続けてほしいと推薦をいただいた人物の一人がペッチェイ博士だったのです。

 

人間の内なる力の開花こそ時代創造の波を広げる源泉

国籍は“世界”再びヨーロッパを訪問する際にお会いできる機会があればと考え、連絡をとり合う中、ペッチェイ博士は、私どもがグアムで第1回「世界平和会議」を開催することを知り、メッセージを寄せてくださいました。

1975年1月26日、SGI発足の舞台となった「世界平和会議」で、私は参加者の署名簿の国籍欄に世界と記しました。

世界を「共同生活」を意識的に行う場と位置付け、各国の国民としてだけでなく「世界民」の自覚を併せ持つ重要性を訴えていた牧口初代会長、そして、世界のどの国の民衆も絶対に犠牲になってはならないとの思いで「地球民族主義」を提唱した戸田第2代会長の精神を、世界の二文字に凝縮させる形でSGIの原点として留めたいと考えたからです。

その4カ月後にペッチェイ博士とお会いした時、博士が手に携えていたのが、私が執筆した小説『人間革命』の英語版でした。

牧口・戸田両会長の二人の先師に始まる創価学会の歴史を綴った小説であり、博士がその際、私どもが進めてきた「人間革命」の運動――一人一人に具わる内なる力の開花を通して時代変革を目指す運動に対し、深い共感を寄せてくださったことは、何よりの後押しを得る思いがしてなりませんでした。

私との対談集の中でも、博士は述べていました。

「一人一人の人間には、これまで眠ったままに放置されてきた、しかし、この悪化しつつある人類の状態を是正するために発揮し、活用することのできる資質や能力が、本然的に備わっている」(『二十一世紀への警鐘』、『池田大作全集』第4巻所収)と。

時を経て今、世界の多くの青年たちが連帯して声を上げ、気候変動の問題に勇んで立ち向かおうとしている姿は、まさに博士が希望を託していた力が大きく開花し始めた姿ではないかと思えてなりません。

『成長の限界』の発刊当時に焦点となっていた公害や資源問題のように、局所的な対応で解決の糸口をつかむことができるものとは異なり、気候変動の原因は人々の生活や経済活動のあらゆる面に及んでいるだけに、状況の打開は決して容易ではありません。

現在、ローマクラブで共同会長を務めるサンドリン・ディクソン=デクレーブ氏が、昨年10月に欧州議会で紹介した「地球非常事態プラン」における緊急課題だけでも、低炭素エネルギーへの転換や再生可能エネルギーへの投資増

 

大をはじめ、循環型経済への移行に関するものなど10項目が挙げられていました。

しかし、気候変動を巡る複雑で困難な状況も、受け止め方次第で、チャンスへと変えることができるのではないでしょうか。

対応すべき分野や場所が多岐にわたるという状況は、一方で、一人一人に具わる限りない力を発揮できる舞台が、それだけ多種多様な形で広がっていることでもあるからです。

SGIの代表も参加したユース気候サミットでは、その舞台の広がりを物語るような分科会が行われました。

自然保護をはじめ、起業、金融、テクノロジー、芸術、スポーツ、ファッション、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、動画配信などの分野において、新しい発想で問題解決を前に進めようとするアプローチが多角的に模索されたのです。

 

青年に焦点当てた安保理の新決議を

その意味で私は、ユース気候サミットの直後に、国連で採択された「SDGサミット」の政治宣言の内容に注目しています。 

2030年までの期間を「持続可能な開発に向けた行動と遂行の10年」と位置付けた上で、取り組みを進めるにあたって永続的にパートナーシップを築くべき対象の一つとして「青年」を挙げていたからです。

この政治宣言を受けて、グテーレス事務総長は国連として「行動の10年」を立ち上げ、グローバルな行動と地域レベルでの行動に加えて、青年たちを含む民衆レベルでの行動を広げることを呼び掛けました。

そこで私は、国連の「行動の10年」における民衆レベルでの取り組みの一つとして、青年を中心に気候変動問題の解決策を共に生み出す挑戦を力強く進めることを提唱したい。

気候変動問題に対して先頭に立って行動するグレタ・トゥーンベリさんも、先月、スペインのマドリードで行われた気候変動枠組条約の第25回締約国会議(COP25)で、2030年までの10年間の意義に触れ、こう訴えていました。

「歴史上の偉大な変革は、すべて民衆から始まりました。待つ必要はありません。今この瞬間から変革を起こせるのです」と。

具体的には、今後もユース気候サミットを毎年開催する中で新しい国連の姿を定着させることに加えて、国連と市民社会が連携して“気候変動問題に立ち向かう青年行動の10年ともいうべき活動を幅広く展開してはどうでしょうか。

また、その方向性を決定づける礎として、平和と安全保障における青年の役割を強調した国連安全保障理事会の2250決議(注3)に続く形で、気候変動の問題に関わる意思決定への青年の参画を主流化させるための安保理決議を採択することを提案したい。

9月には、国連創設75周年を記念するハイレベル会合の開催も予定されています。そこに世界の青年たちを重要なパートナーとして招くとともに、青年行動の10年の開始と安保理決議の採択をもって、国連の新章節を飾るべきではないでしょうか。

私どもも、青年部が2014年から進めてきた「SOKAグローバルアクション」を発展させる形で、本年から新たに「SOKAグローバルアクション2030」を始動しました。

その一環として、一人一人が日常生活の中で温室効果ガスの削減につながる行動を起こす「マイ・チャレンジ10」の活動をはじめ、草の根レベルで行動の連帯を広げる活動を進めることになっています。

気候変動の問題の解決をはじめ、SDGsの目標を達成する道は、決して平坦なものではないでしょう。 

しかし、青年たちの連帯がある限り、乗り越えられない壁など決してないと、私は固く信じてやまないのです。

 

注2 『成長の限界』

1972年にローマクラブが発表した報告書。60年代のような人口増加率と経済成長率が続けば、食糧不足や資源の枯渇、汚染の増大によって、100年以内に地球は成長の限界に達するとの将来予測を示した。この予測は、72年にストックホルムで行われた国連人間環境会議に向けて、地球環境問題への取り組みの重要性を広く知らせる啓発的な役割を果たした。

 

注3 国連安全保障理事会の2250決議

平和構築の取り組みをはじめ、暴力的な過激主義に対抗するための活動において、青年が果たす役割に焦点を当てた決議。2015年12月に国連安全保障理事会で採択された。永続的な平和を促進するための重要なパートナーとして青年を位置付け、紛争予防と解決のための意思決定に青年の

 

代表を増やす方法を考慮することなどを、国連加盟国に求めている。

 

 

【提言-5】「核兵器禁止条約」の本年中の発効を

 

核兵器禁止条約を早期に発効し

被爆地で「民衆フォーラム」を開催

 

続いて、誰もが尊厳をもって安心して生きられる「持続可能な地球社会」の建設に向けて、4項目の具体的な提案を行いたい。

第一の提案は、核兵器禁止条約に関するものです。

広島と長崎への原爆投下から75年にあたる本年中に、核兵器禁止条約を何としても発効に導き、核時代と決別する出発年としていくことを強く呼び掛けたい。

2017年7月の採択以来、これまで80カ国が署名し、35カ国が批准(ひじゅん)を終えました。

条約発効に必要となる「50カ国の批准」を早期に実現するために、参加国の拡大の勢いを増していくことが求められます。 

こうした中、アメリカとロシアの間で核軍縮の礎石(そせき)となってきた中距離核戦力(INF)全廃条約(注4)が失効するなど、核軍拡競争が、今再び激化しようとしています。

国連軍縮研究所のレナタ・ドゥワン所長が「核兵器が使われるリスクは第2次世界大戦後で最も高い」と警告するような状況に直面しており、核兵器禁止条約の発効をもって明確な楔(くさび)を打ち込むことが急務であると思えてなりません。

 

世界の方向性を形づくる国際規範

現在のところ、核兵器禁止条約には核保有国や核依存国は加わっていませんが、発効によって打ち立てられる“いかなる場合も核兵器の使用を禁止する”との規定には、非常に大きな歴史的意義があります。

そこには何より、広島と長崎の被爆者をはじめ、核開発や核実験による被害を受けた世界のヒバクシャが抱き続けてきた“二度と同じ苦しみを誰にも経験させたくない”との誓いが凝縮(ぎょうしゅく)されています。

その上、国連のグテーレス事務総長が核兵器の完全な廃絶は「国連のDNA」であると強調しているように、1946年に初開催された国連総会での第1号決議で核兵器の廃絶が掲げられて以来、核問題の解決を求める決議が何度も積み重ねられる中で、ついに実現をみたのが核兵器禁止条約だったからです。

また、核兵器禁止条約への署名と批准の広がりは、50年前(1970年3月)に発効した核拡散防止条約(NPT)と比べても、さほど変わるものではありません。

NPTの発効時の署名国は97カ国で、批准国は47カ国にすぎませんでした。

それでも、NPTを通じて核兵器の拡散は許されないとの規範意識が次第に定着していく中で、核兵器の保有を検討していた国の多くが非核の道を選び取ったほか、南アフリカ共和国のように、一時は核兵器を開発して保有しながらも自発的に廃棄を果たし、NPTの枠組みに加わった国まで現れました。

核兵器の拡散防止も、NPTが発効するまでは「理想」の段階にとどまっていた。

しかし、ひとたび条約が発効し、批准国が拡大することで、世界のあり方を大きく規定する「現実」へと変わっていったのです。

このように、最初の段階で締約国が十分な広がりを見せていなかったとしても、条約の発効には世界の新しい方向性を明確に形づくる影響力があるといえましょう。

昨年6月に行われた、カリブ海地域での核兵器禁止条約の発効促進のための会議。

10カ国の政府関係者らが参加した会議では、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の一員として参加したSGIの代表が、冒頭のセッションの進行役を務めた(ガイアナ共和国の首都ジョージタウンで)

新たな国際規範を設けることの意義について論じた興味深い考察があります。

核兵器禁止条約に先駆けて、核廃絶を実現するための草案としてモデル核兵器条約を97年に起草した、メラフ・ダータン氏とユルゲン・シェフラン氏は、論考の中でこう述べています。

「国際法と国際関係との領域の区分が、理想と現実とのギャップを示しているとすれば、モデル核兵器条約は理想を形にしたもので、NPTは現実を表しているといえよう」

「核兵器禁止条約は、この理想と現実の両方を体現したものだ。

核兵器国の署名がまだないために理想ともいえるが、条約が存在するという点において現実である」と。

その上で両氏は、「条約への反対や軍縮への抵抗が実際にあるとしても、規範の価値とその発展を打ち消すものではない」と強調していますが、私も深く同意するものです。

今後の焦点となるのは、条約の発効によって打ち立てられる“いかなる場合も核兵器の使用を禁止する”との規定に対し、どの国であろうと揺るがすことのできない重みを帯びさせることではないでしょうか。

メキシコのナヤリットで2014年2月に行われた第2回「核兵器の人道的影響に関する国際会議」。

全体討議では、SGIの代表が市民団体の立場から発言し、共感が広がったICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の国際運営団体の一つである「ノルウェー・ピープルズエイド」の昨年の報告書によると、核兵器禁止条約を支持する国々は135カ国にのぼるといいます。

加えて各国の自治体の間でも、条約の支持を表明する動きが広がっています。

2年前に始まった「ICANシティーズ・アピール」には、核保有国のアメリカ、イギリス、フランスをはじめ、核依存国のドイツ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、イタリア、スペイン、ノルウェー、カナダ、日本、オーストラリアのほか、スイスの自治体が加わっています。

その中には、核保有国の首都であるワシントンDCやパリに加え、核依存国の首都であるベルリン、オスロ、キャンベラも含まれているのです。

また昨年10月には、すべての国に核兵器禁止条約への加盟を求める「ヒバクシャ国際署名」が国連に提出されました。

広島と長崎の被爆者の呼び掛けで4年前に始まった活動で、創価学会平和委員会も運営団体として参画してきましたが、核保有国や核依存国を含む多くの国から1051万人の署名が寄せられたのです。

このようにさまざまな形で表れているグローバルな民意を、さらに力強く結集する中で、“核兵器の禁止の規範化”を大きく前に進めることが重要ではないでしょうか。

 

どの国の民衆にも惨害を起こさない

そこで提案したいのは、核兵器禁止条約の発効後に行われる第1回締約国会合を受ける形で、世界のヒバクシャをはじめ、条約を支持する各国の自治体やNGO(非政府組織)の代表らが参加しての「核なき世界を選択する民衆フォーラム」を、広島か長崎で開催することです。

「核なき世界を選択する民衆フォーラム」の開催を提案したのは、“どの国の民衆にも核兵器の惨害(さんがい)を起こしてはならない”との共通認識に基づく議論を民衆自身の手で喚起することが、核兵器の禁止を「グローバルな人類の規範」として根付(ねづ)かせるために欠かせないと考えるからです。

唯一の戦争被爆国である日本が、核兵器の非人道性を巡る国際的な議論をさらに深めるための努力を重ね、核保有国と非保有国の橋渡しの役割を担うことを切に望むものです。

過去70年以上にわたって厚い壁に覆(おお)われ続けていた、核兵器禁止条約の交渉開始への突破口を開いたのは、2013年から3回にわたって開催されてきた「核兵器の人道的影響に関する国際会議」でした。 

そこでの議論を通じて浮かび上がったのが、次のような重要な観点です。

 

1.いかなる国も国際機関も、核爆発によって引き起こされた直接的被害に適切に対処し、被害者を救援するのは困難であること。

2.核爆発の影響は国境内に押しとどめることは不可能で、深刻で長期的な被害をもたらし、人類の生存さえ脅(おびや)かしかねないこと。

3.核爆発による間接的な影響で社会・経済開発が阻害(そがい)され、環境も悪化するために、貧(まず)しく弱い立場に置かれた人々が最も深刻な被害を受けること。

 

このように、「核兵器で守ろうとする国家の安全」ではなく、「核兵器の使用によって被害を受ける人間」の側から問題の所在が明らかにされていく中で、核兵器禁止条約の交渉開始のうねりが高まっていったのです。

 

「原水爆禁止宣言」を発表する戸田第2代会長。青年部を中心に会場に集った5万人を前に、世界の民衆の生存の権利を脅かす核兵器の使用は、いかなる理由があろうと断じて許してはならないと訴えた(1957年9月8日、横浜・三ツ沢の陸上競技場で)

 

人権法の中核をなす

「生命に対する権利」

核兵器禁止条約の採択後も、2018年10月に国連の自由権規約委員会が、核兵器の威嚇(いかく)と使用は「生命に対する権利」の尊重と相容(あいい)れない”と明記した一般的意見を採択するという動きがありました。

「生命に対する権利」は、市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)において、緊急事態であっても例外なく守られなければならない“逸脱(いつだつ)できない権利”として位置付けられており、国際人権法の中でも際立って重要とされているものです。

国際人権法の中核をなす権利との関係において、核兵器の威嚇(いかく)と使用の重大な問題性が明確に指摘されたことの意義は、誠に大きいと思えてなりません。

私の師である戸田第2代会長が1957年9月に発表した「原水爆禁止宣言」で何よりの立脚点にしていたのも、世界の民衆の生存の権利を守る重要性にほかなりませんでした。

核兵器禁止条約の第1回締約国会合の開催を受ける形で、「核なき世界を選択する民衆フォーラム」を行い、この「生命に対する権利」に特に焦点を当てながら、人権の観点から核兵器の非人道性を浮き彫りにする議論を深めていってはどうかと思うのです。

 

母と子が安心して暮らせる世界を!

また、民衆フォーラムの開催を通して、核兵器の禁止によって築きたい世界の姿について、互いの思いを分かち合う場にしていくことを呼び掛けたい。

核兵器禁止条約の制定にあたって、これまで核問題とは結びつけられてこなかったジェンダーの視座(しざ)が盛り込まれたのも、長らく見過ごされてきた被害の実相を浮かび上がらせた女性の声がきっかけでした。

2014年12月に行われた第3回の「核兵器の人道的影響に関する国際会議」で、メアリー・オルソンさんが、核兵器使用による放射線の有害性が男性よりも女性に顕著に表れる事実を明確に示したことを機に議論が深まる中で、核兵器禁止条約の前文に次の一文が明記されるようになったのです。

「女性及び男性の双方による平等、十分かつ効果的な参加は、持続可能な平和及び安全を促進し及び達成することにとり不可欠な要素であることを認識し、女性の核軍縮への効果的な参加を支援しかつ強化することを約束する」と。

これは、核兵器の禁止を通して目指すべき世界のビジョンの輪郭(りんかく)を、ジェンダーの視座から照らし出したものといえましょう。

創価学会では、長年にわたって100冊を超える戦争体験や被爆体験の証言集を発刊。2014年からは新しい企画での証言集として、広島女性平和委員会編の『女性たちのヒロシマ──笑顔かがやく未来へ』(前列左)などが発刊されてきた

創価学会が長年にわたって発刊してきた広島と長崎の被爆証言集にも、多くの女性たちの体験が収録されています。

このうち4年前に発刊した『女性たちのヒロシマ』では、14人の女性による証言を通し、被爆の影響による後遺症などへの不安を抱える中で、結婚や出産をはじめ、女性であるがゆえに強く受けてきた偏見(へんけん)や苦しみが綴(つづ)られています。

しかし、そのメッセージは“同じ悲劇を誰にも経験させたくない”との被爆者としての強い実感にとどまるものではありません。

副題が「笑顔かがやく未来(あした)へ」となっているように、“母と子が安心して平和に暮らせる世界を共に築きたい”との誓いが脈打っているのです。

核兵器禁止条約の普遍性(ふへんせい)を高めるためには、「人間としての実感」に根差した思いを多くの人々の間で分かち合うことが、重要な意味を持ってくるのではないでしょうか。

平和や軍縮に関心を持つ人だけでなく、ジェンダーや人権の問題、さらには家族や子どもたちの未来に思いを馳せる人たちをはじめ、国や立場の違いを超えた多くの民衆の支持が結集されてこそ、核兵器禁止条約は「グローバルな人類の規範」としての力を宿していくに違いないと確信するのです。

 

注4 中距離核戦力(INF)全廃条約

アメリカとソ連が初めて核兵器の削減に合意した条約。1987年12月に調印された。射程500〜5500キロの中距離核戦力を全面的に禁止し、91年5月に対象兵器の廃棄が完了した。近年、新たなINFの配備を禁止した規定を巡って対立が続く中、昨年2月にアメリカが条約の破棄を通告。ロシアも条約義務の履行停止を発表し、昨年8月に条約が失効した。

 

 

​​​【提言-6】保有5カ国による核軍縮交渉を開始

 

新STARTの延長を基盤に

保有5カ国で核軍縮条約を

 

NPT再検討会議で実現すべき合意次に第二の提案として、核軍縮を本格的に進めるための方策について述べたい。

具体的には、4月から5月にかけてニューヨークの国連本部で行われるNPT再検討会議で、「多国間の核軍縮交渉の開始」についての合意と、「AI(人工知能)などの新技術と核兵器の問題を巡る協議」に関する合意を最終文書に盛り込むことを呼び掛けたいと思います。

一つ目の合意については、アメリカとロシアとの新戦略兵器削減条約(新START)の延長を確保した上で、多国間の核軍縮交渉の道を開くことが肝要となると考えます。

新STARTは、両国の戦略核弾頭を1550発にまで削減するとともに、大陸間弾道ミサイルや潜水艦発射弾道ミサイルなどの配備数を700基にまで削減する枠組みで、明年2月に期限を迎えます。

5年間の延長が可能となっていますが、協議は難航しており、INF全廃条約に続いて新STARTの枠組みまで失われることになれば、およそ半世紀ぶりに両国が核戦力の運用において“相互の制約を一切受けない状態”が生じることになります。

この空白状態によって生じる恐れがあるのは、核軍拡競争の再燃だけではありません。

今後、小型の核弾頭や超音速兵器の開発が加速することで、局地的な攻撃において核兵器を使用することの検討さえ現実味を帯びかねないとの懸念(こうげき)の声も上がっています。

ゆえに、新STARTの5年延長を確保することがまずもって必要であり、NPT再検討会議での議論を通して、核兵器の近代化に対するモラトリアム(自発的停止)の流れを生み出すことが急務だと訴えたい。

その上で、「次回の2025年の再検討会議までに、多国間の核軍縮交渉を開始する」との合意を図るべきではないでしょうか。

昨年4月から5月にかけてニューヨークの国連本部で行われた、NPT再検討会議の第3回準備委員会。

SGIの代表も参加し、核兵器の問題を「生命の尊厳」に照らして再考することや軍縮教育の重要性などを訴える声明を発表した。

50年にわたるNPTの歴史で、核軍縮の枠組みができたのはアメリカとロシアとの2国間だけであり、多国間の枠組みに基づく核軍縮は一度も実現していません。

NPTはすべての核兵器国が核軍縮という目標を共有し、完遂を誓約している唯一の法的拘束力のある条約であることを、今一度、再検討会議の場で確認し合い、目に見える形での行動を起こす必要があります。

具体的な進め方については、さまざまなアプローチがあるでしょうが、私はここで一つの試案を提示しておきたい。 

それは、「新STARTの5年延長」を土台にした上で、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5カ国による新たな核軍縮条約づくりを目指し、まずは核軍縮の検証体制に関する対話に着手するという案です。

これまでアメリカとロシアが実際に行ってきた検証での経験や、多くの国が参加して5年前から継続的に行われてきた「核軍縮検証のための国際パートナーシップ」での議論も踏まえながら、5カ国で核軍縮を実施するための課題について議論を進めていく。

その上で、対話を通じて得られた信頼醸成を追い風にして、核兵器の削減数についての交渉を本格的に開始することが望ましいのではないかと思います。

 

スウェーデンのパルメ首相(当時)から池田SGI会長に贈られた、パルメ委員会の報告書『共通の安全保障』。

本の扉にはパルメ首相のサインが認められている共通の安全保障の精神を顧(こころ)みる

 

多国間の核軍縮の機運を高めるために重要な鍵(かぎ)を握(にぎ)ると考えるのは、冷戦終結の道を開く後押しとなった「共通の安全保障」の精神を顧(かえり)みることです。

1982年6月に行われた国連の第2回軍縮特別総会に寄せて、スウェーデンのパルメ首相らによる委員会が打ち出したもので、核戦争に勝者はないとの認識に基づいて、次のような意識転換が促(うなが)されていました。

「諸国家はもはや、他国を犠牲にして安全性を追求することはできない。

すなわち相互協力によってしか、安全は得られない」(『共通の安全保障』森治樹監訳、日本放送出版協会)と。

私もその時、第2回軍縮特別総会に向けた提言で、「膨大な核戦力が対峙している以上、いかに軍事力を増強させようと、とうてい真の平和は保(たも)ちえない」と訴えていただけに、深く共感できる考え方でした。

その前年(81年)、アメリカとソ連の関係が厳しさを増す中で、レーガン大統領は対決姿勢を鮮明にし、ヨーロッパでの限定核戦争もあり得るとまで発言していました。

当時の心境について、レーガン大統領はこう記しています。

「われわれの政策は、力と現実主義に基づいたものでなければならない。

私が望んだのは力を通じての平和であって、一片の紙切れを通じての平和ではなかった」(『わがアメリカンドリーム』尾崎浩訳、読売新聞社)と。

しかし、欧米諸国の市民による反核運動の高まりがあり、核兵器の使用がもたらす壊滅的な被害に対する認識も深めるにつれて、レーガン大統領は“核戦争を起こしてはならない”との思いを強めていった。

 

1997年11月、大阪・交野市の関西創価学園を訪問し、池田SGI会長と語らいを重ねたゴルバチョフ元ソ連大統領。両者はこれまで10回にわたる対談を通し、核兵器の廃絶に向けた課題をはじめ、世界平和を築くためのメッセージを発信してきた

 

また、核兵器で対峙するソ連の人々がどんな気持ちを抱いているかについて思いを馳せる中で、ソ連のチェルネンコ書記長に手紙を送った時のことを回想し、こう綴っていました。

「チェルネンコへの手紙の中で私は、直接的、かつ内密に交信することはわれわれ双方にとって利益があると思っている、と述べた。

そして俳優時代になじんだ感情移入のテクニックを使うように努めた」「そしてソ連国内の一部の人は、わがアメリカを本当に恐れているようだと私は理解している、と続けた」(同)

こうした想起を通して、相手側の不安と自国側の不安とが“鏡映し”であることを実感したレーガン大統領が、ソ連との対話を模索する中で実現したのが、85年11月にジュネーブで行われたゴルバチョフ書記長との首脳会談だったのです。

同じく核問題の解決の必要性を強く認識していたゴルバチョフ書記長と、胸襟(きょうきん)を開いた対話を続けた結果、両首脳による共同声明として世界に発信されたのが、「核戦争に勝者はなく、また、核戦争は決して戦われてはならない」との有名なメッセージでした。

そこには「共通の安全保障」に通じる考え方が脈打っており、それが87年12月のINF全廃条約の締結(ていけつ)へとつながり、冷戦を終結させる原動力ともなっていったのです。

時を経て再び、核兵器を巡る緊張が高まり、“新冷戦”とまで呼ばれる状況に世界が直面する今、「共通の安全保障」の精神を呼び覚ますことが大切ではないでしょうか。

ゆえに私は、NPT発効50周年を迎えるにあたり、「核戦争に勝者はなく、また、核戦争は決して戦われてはならない」との宣言を、NPTの締約国の総意として今回の再検討会議の最終文書に明記することを提案したい。

 

2018年5月、スイスのジュネーブ大学で軍縮アジェンダを発表する国連のグテーレス事務総長。

講演の中で、「人類を救うための軍縮」「命を救う軍縮」「将来の世代のための軍縮」の三つの優先課題について訴えた(EPA=時事)

 

国連が2018年5月に発表した軍縮アジェンダでも、「人類を救うための軍縮」との視座が打ち出されていました。作成に携わった国連の中満泉・軍縮担当上級代表は、その発表翌日に行ったスピーチで、軍縮と安全保障との関係について、こう述べています。

「軍縮は、国際平和と安全保障の原動力であり、国家の安全保障を確保するための有用な手段である」 「軍縮はユートピア的な理想ではなく、紛争を予防し、いついかなる時、場所であれ、紛争が起こった際に、その影響を緩和(かんわ)するための具体的な追求である」と。

自国の安全保障を確保するための「有用な手段」として核軍縮の交渉を進め、他の国々が感じてきた脅威や不安を取り除くことで、自国が他国から感じてきた脅威や不安を取り除いていく──。

NPT第6条が求める核軍縮の誠実な履行を、こうした互いが勝者となるウィンウィンの関係を基盤として、今こそ力強く推進していくべきであると訴えたいのです。

 

核運用におけるAI導入や

サイバー攻撃の禁止が急務

 

新技術の発達が兵器に及ぼす影響

また私がもう一つ、NPT再検討会議で目指すべき合意として特に求めたいのは、「核関連システムに対するサイバー攻撃」や「核兵器の運用におけるAI導入」の危険性に対する共通認識を深め、禁止のルールづくりのための協議を開始することです。

インターネットなどのサイバー空間やAIに関する新技術は、社会に多くの恩恵をもたらしてきた一方で、それを軍事的な目的に利用しようとする動きが進んでいます。

昨年3月、こうした新技術に伴う問題を巡る会議がベルリンで行われました。

EU(欧州連合)やNATO(北大西洋条約機構)の国々をはじめ、ロシア、中国、インド、日本、ブラジルの政府代表が参加した会議で焦点となったのは、ロボット兵器の通称で呼ばれる自律型致死兵器システム(LAWS)の問題に加えて、新技術の発達が核兵器などの多くの兵器に及ぼす影響についてでした。

その上で、ドイツとオランダとスウェーデンの外相による政治宣言として、「技術的に進化した軍事能力がいかにして戦争の性格を変え、世界の安全保障に影響を与えるかについて、共通の理解を構築する必要がある」(IDNInDepthNews 2019年3月17日配信)との問題提起がされていたのです。

 

戸田記念国際平和研究所が「21世紀における新たな軍備管理の探求」をテーマに行った研究会議。

核軍拡競争の再燃が懸念される中、核保有国と非保有国などの間で協働関係を生み出すための条件などを巡って、活発な議論が交わされた(2018年10月、ノルウェーのオスロで)

 

核兵器に安全保障を依存してきた国などからも懸念が示されるほど、新技術の発達のスピードは速く、私は、緊急性が増す核兵器と新技術を巡る討議をNPTの枠組みで早急に開始することを提案したい。

1995年にNPTの無期限延長が決まった時、条約の再検討では、過去の合意の達成状況の精査だけでなく、将来において進展が図られるべき分野と、そのための手段を特定する重要性が提起されていました。

核兵器と新技術の問題は、緊急性と被害の甚大さを踏まえると、まさに最優先で取り上げるべき分野ではないかと思うのです。

まずサイバー攻撃に関して言えば、核兵器の指揮統制だけでなく、早期警戒、通信、運搬など多岐にわたるシステムに危険が及ぶ恐れがあります。

 いずれかのシステムに対して、サイバー攻撃が実行されることになれば、単なる不正侵入にとどまらず、最悪の場合、核兵器の発射や爆発を引き起こす事態を招きかねません。

この問題に関し、国連のグテーレス事務総長も警鐘(けいしょう)を鳴らしていました。

「国連憲章を含め、国際法がサイバー空間にも適用されるというコンセンサスはすでに存在しています。しかし、実際に国際法がどのように適用されるのか、また、国家が法律の枠内で悪意ある、または敵対的な行為にいかに対応できるのかについては、コンセンサスはありません」(国連広報センターのウェブサイト)と。

その基盤をつくる意味でも、「核関連システムに対するサイバー攻撃」の禁止をNPTの枠組みを通して早急に確立し、核リスクの低減を図るべきではないでしょうか。

 

不安や猜疑心を強める危険

同じく、「核兵器の運用におけるAI導入」も、多くの危険を引き寄せかねないものです。

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が昨年5月に発表した報告書では、その問題点を詳しく分析しています。

それによると、核保有国にとってのAI導入のメリットは、人間の場合には避けられない疲労や恐怖を排除できることに加え、深海や極地といった厳しい生存環境や危険が伴う場所での任務を無人の装置で代替できることなどが挙げられるといいます。

しかし、AIへの依存度を強めれば強めるほど、核兵器の運用を不安定にする要素が増え、かえって核使用のリスクを高める方向に働きかねないと警告しているのです。

そこでは、従来の核抑止論(かくよくしろん)の基盤をなしてきた相手の出方に関する心理学的な認知が通用しなくなることが指摘されています。

AIが主要な役割を担うようになれば、状況判断の過程がブラックボックス化して、相手の出方がますます読めなくなり、不安や猜疑心(さいぎしん)がさらに募(つの)る状態を招(まね)くからです。

報告書は、こう記しています。

「冷戦中、アメリカとソ連は互いの戦略システムと行動を研究するために多大な時間と努力を費やし、国防関係の代表は、必ずしも生産的というわけではなかったにせよ、頻繁(ひんぱん)に会っていた」と。

心理学的な認知といっても、直接の出会いを重ねる実体験が伴っていたからこそ、相手の出方をある程度予測できる関係を築くことができていたのではないでしょうか。

また冷戦時代、誤った情報や装置の誤作動で、他国から核ミサイルの発射があったとの警報が出る事態が何度も起きました。

その時に、危機を未然に防いだのは、監視画面に表示された情報をうのみにせず、情勢的にそれはあり得ないとの健全な懐疑心(かいぎしん)を働かせて、対抗措置としての核攻撃の中止を進言した人々の存在だったのです。

まして現在は、サイバー攻撃による「ハッキング」や「なりすまし」の危険にもさらされており、AIの導入が進めば、誤(あやま)った情報に対してだけでなく、偽(にせ)の情報に対する脆弱性(ぜいじゃくせい)も増すことになりかねません。

 

冷戦時代に設置されていた核ミサイル「メースB」の発射台が、池田SGI会長の提唱で「世界平和の碑」に生まれ変わってから、今年で36年──

昨年10月には各国のSGIメンバーが碑の前に集い、不戦の誓いを新たにした(恩納村の沖縄研修道場で)

 

もちろん、AIへの依存度がどれだけ強まったとしても、核兵器の発射の最終判断は、人間の手を離れることはまずないでしょう。

しかし、AIの導入競争が核保有国の間で進むことが、深刻なジレンマをもたらす危険性に目を向ける必要があります。

AIの導入は自国が優位に立つための軍事行動のスピード化につながるかもしれませんが、一方でそれは、1962年のキューバ危機の際にケネディ大統領やフルシチョフ書記長が直面したようなジレンマを、少しの猶予(ゆうよ)も許(ゆる)さずに迫るものとなるからです。

世界を震撼(しんかん)させた危機の教訓を顧(かえり)みて、ケネディ大統領はこう述べました。

「核保有国は、相手国に対して、屈辱的(くつじょくてき)な退却(たいきゃく)か核戦争かを強いるような対決を避けなければなりません」(『英和対訳ケネディ大統領演説集』長谷川潔訳注、南雲堂)と。

そのジレンマがどれほど薄氷(はくひょう)を踏むものだったのか、悔恨(かいこん)がにじみ出ている言葉ですが、それでも当時の両首脳には“13日間という熟議を重ねる時間がありました。

ところが、スピード化の競争が進めば、相手に先を越されることへのプレッシャーが一層強まって、熟議(じゅくぎ)に基(もと)づく判断の介在する余地がそれだけ失われることになります。

この点、SIPRIの報告書でも、「より速く、より賢く、より正確で、より多目的な兵器を探求することは、不安定な軍拡競争をもたらす可能性がある」と指摘しています。

核兵器とAIとの結びつきは先制攻撃を促(うなが)す方向に働くことはあっても、核戦争を止める力にはなりえないと強く訴えたいのです。

NPTの前文に刻まれているように、核戦争の危険を回避(かいひ)するためにあらゆる努力を払うことが、条約を貫(つらぬ)く精神だったはずです。

その一点を全締約国の共通の土台としながら、サイバー攻撃やAIの導入を巡る協議を今後進める中で、核兵器に安全保障を依存し続けることの意味についても問い直していくことが、肝要(かんよう)ではないでしょうか。

 

 

​​​​​​【提言-7】日本で「気候変動と防災」の国連会合を

 

気候変動を巡る問題に焦点を当て

日本で国連の防災会合を

 

災害の発生件数が10年で5倍に増加

第三の提案は、気候変動と防災に関するものです。

気候変動を巡って取り組みが迫られているのは、温室効果ガスの削減(さくげん)だけではありません。異常気象による被害の拡大を防止するための対応が待ったなしとなっています。

先月、スペインのマドリードで行われた気候変動枠組条約の第25回締約国会議(COP25)でも、この二つの課題を中心に討議が進められました。

COP25に寄せてNGOのオックスファムが発表した報告によると、気候変動による災害の発生件数は過去10年間で5倍にまで増加しているといいます。

世界全体でみると、地震などの災害や紛争よりも、気候変動が原因で避難した人数が圧倒的に多い状況が生じているのです。

そこで私は、「気候変動と防災」に関するテーマに特に焦点(しょうてん)を当てた国連の会合を日本で行うことを提唱したい。 

国連防災機関では、各国の政府代表や市民社会の代表などが参加する「防災グローバル・プラットフォーム会合(防災GP会合)」を、2007年から開催してきました。

2年ごとに会合を重ねる中で、2015年には仙台で行われた第3回「国連防災世界会議」をもってその開催に代えられたほか、昨年5月にスイスのジュネーブで会合が行われた際には、182カ国から4000人が参加して討議が進められました。

今後は3年ごとに開催される予定となっており、2022年に行われる防災GP会合を日本で開催して、異常気象による被害の拡大防止と復興の課題について集中的に討議していってはどうかと思うのです。

5年前の国連防災世界会議で採択された仙台防災枠組(注5)では、災害の被災者を2030年までに大幅に減少させるなどの目標が打ち出されました。

これまで積み上げてきた各国の経験を生かしながら、異常気象による災害についても早急に対策を強化していくことが求められるのではないでしょうか。

昨年12月、スペイン・マドリードで開催された、気候変動枠組条約の第25回締約国会議(時事)。

「パリ協定」の運用ルールの中で積み残しとなっていた、温室効果ガスの削減量に関する国際取引の仕組みについては合意が先送りされた

すでにインフラ(社会基盤)の整備については、インドの呼び掛けで「災害に強いインフラのための連合」が昨年9月に発足しています。

これまで重点が置かれてきた地震などの災害への対応だけでなく、気候変動の影響にも強いインフラの構築を目指すグローバルな枠組みで、技術支援や能力開発に関する国際的な連携を進めるものです。

異常気象による被害が相次(あいつ)ぐ日本もこの連合に参加しており、インドをはじめ他の加盟国と協力しながら、防災GP会合でこの分野における国際指針のとりまとめをリードしていくことを提案したい。

また、防災GP会合の中心議題の一つとして、気候変動と防災に関する自治体の役割をテーマに取り上げ、その連携を大きく広げる機会にしていくべきだと思います。

現在、国連防災機関が「災害に強い都市の構築」を目指して進めるキャンペーンには、世界の4300を超える自治体が参加しています。

そのなかには、モンゴルやバングラデシュのように、すべての市町村がキャンペーンに参加している国も出てきました。

キャンペーンが始まってから本年で10年になりますが、今後は異常気象への対応に特に重点を置く形で自治体間の連携を進めることが大切になると思います。

世界の人口の4割は海岸線から100キロ以内に住んでおり、その地域では気候変動の影響によるリスクが高まっています。

日本でも人口の多くが沿岸地域で暮らしています。中国や韓国をはじめ、アジアの沿岸地域の自治体と、「気候変動と防災」という共通課題を巡って互いの経験から学び、災害リスクを軽減するための相乗効果をアジア全体で生み出していくべきだと考えるのです。

本年6月には、アジア太平洋防災閣僚級会議がオーストラリアで行われます。

会議を通じて自治体間の連携に関する議論を深め、2022年の防災GP会合でその世界的な展開につなげることを目指していってはどうでしょうか。

 

2015年3月、宮城・仙台市での第3回「国連防災世界会議」の公式関連行事として開催された、SGI主催のシンポジウム。日本と中国と韓国の市民団体の代表らが出席し、「北東アジアのレジリエンス強化のための防災協力」を巡って活発に意見を交わした

 

誰も置き去りにしない社会へ

レジリエンスの強化を推進

 

障がいのある人を取り巻く状況

加えて、次回の防災GP会合の開催にあたって呼び掛けたいのは、気候変動で深刻な影響を受ける人々を置き去りにしないための社会づくりについて、重点的に討議を行うことです。

男女平等と社会的包摂(ほうせつ)の促進(そくしん)を掲げた昨年のジュネーブでの会合では、登壇者の半数と参加者の4割を女性が占めたほか、120人以上の障がいのある人が参加しました。

SDGsのアドボケート(推進者)の一人で、会合に出席した南アフリカ共和国のエドワード・ンドプ氏は、災害時の社会的包摂への思いをこう述べました。

「障がい者は世界人口の15%を占める最大のマイノリティー(社会的な少数派)ですが、一貫して存在が忘れられてきました」

「(災害時に)障がい者を物理的に置き去りにしてしまう行為と、日常生活において排除が障がい者にもたらす極めて現実的な影響とは、つながりがあるのです」と。

脊髄性筋萎縮症(せきずいせいきんいしゅくしょう)を2歳の頃から患(わずら)ってきたンドプ氏は、災害が起きた時に最も危険にさらされる人々に対する「社会的な態度の再構築」が必要となると訴えていたのです。

私は、防災と復興を支えるレジリエンス(困難を乗り越える力)の強化といっても、この一点を外してはならないと思います。

普段の生活の中で「共に生きる」というつながりを幾重にも育む土壌があってこそ、災害発生時から復興への歩みに至るまで、多くの人々の生命と尊厳を守る力を生み出し続けることができるからです。

 

昨年11月、神奈川青年部が開催したフォーラム。

国際通信社INPS編集長のラメシュ・ジャウラ氏が、防災と気候変動をテーマに講演を行った(横浜市の神奈川平和会館で) 

 

また、ジュネーブ会合での災害とジェンダーを巡る討議でも、“目に映らない存在にされてきた人々”を“目に見える存在”にすることが大切になるとの指摘がありました。

日常生活において女性が置かれている状況は、社会的な慣習や差別意識などによって当たり前のように見なされることが多いために、本当に助けが必要な時に置き去りにされる恐れが強いことが懸念されます。

例えば、異常気象の影響で避難が必要になった時、女性は家を出るのが最後になることが多いといわれます。

男性が離れた場所で働いている場合には、子どもたちや高齢者や病気の家族の世話をする必要があるため、家を出るのが遅れがちになるからです。

しかしその一方で、災害が起きた時に、地域で多くの人々を支える大きな力となってきたのは女性たちにほかなりませんでした。

 

昼間の星々の譬え

この点に関し、UNウィメン(国連女性機関)も、次のように留意を促しています。

被災直後から発揮されるリーダーシップや、地域でのレジリエンスの構築に果たす中心的役割など、防災における女性たちの実質的な貢献とともに、潜在的な貢献は、大きな可能性を持つ社会資産であるにもかかわらず、あまり注目されてこなかった――と。

 

2018年8月、「持続可能な開発のためのアジア太平洋FBO連合」が、都内で開催した国際討論会。

誰も置き去りにしない社会を築くために、信仰を基盤とした団体が果たす役割などについて意見が交わされた

 

明らかに存在するのに見過ごされがちになるという構造的な問題について考える時、私は大乗仏教の経典に出てくる“昼間の星々”の譬(たと)えを思い起こします。

天空には常に多くの星々が存在し、それぞれが輝きを放っているはずなのに、昼間は太陽の光があるために、星々の存在に意識が向かなくなることを示唆(しさ)したものです。

日常生活においても災害時においても、地域での支え合いや助け合いの要(かなめ)の存在となってきたのは、女性たちであります。

地震などの災害に加えて、異常気象への対応策を考える上でも、あらゆる段階で女性の声を反映させることが、地域のレジリエンスの生命線になるのではないでしょうか。

本年は、ジェンダー平等の指針を明確に打ち出した第4回世界女性会議の「北京行動綱領」が採択されて25周年にあたります。

そこには、こう記されています。

「女性の地位向上及び女性と男性の平等の達成は、人権の問題であり、社会正義のための条件であって、女性の問題として切り離して見るべきではない。

それは、持続可能で公正な、開発された社会を築くための唯一の道である」と。

このジェンダー平等の精神は、防災においても絶対に欠かせないものです。

その意味から言えば、災害にしても、気候変動に伴う異常気象にしても、インフラ整備などのハード面での防災だけでは、レジリエンスの強化を図ることはできない。

ジェンダー平等はもとより、日常生活の中で置き去りにされがちであった人々の存在を、地域社会におけるレジリエンスの同心円の中核に据えていくことが、強く求められると訴えたいのです。

 

2017年5月、メキシコで行われた国連の「防災グローバル・プラットフォーム会合」。

展示会場では、SGIがアジア防災・災害救援ネットワークと共同制作した人道展「人間の復興」も設置された

 

私どもSGIも、信仰を基盤にした団体(FBO)として、災害時における緊急支援や、被災地の復興を後押しする活動に取り組む一方で、防災GP会合をはじめとする国際会議に継続して参加してきました。

2017年のメキシコでの防災GP会合では、「FBOによる地域主導の防災――仙台防災枠組の実践」と題するシンポジウムを行ったほか、キリスト教やイスラム教などさまざまな宗教的背景を持つFBOと協力して共同声明をまとめ、昨年のジュネーブ会合でも引き続いて共同声明を発表してきました。

また2018年3月に、他のFBOの4団体と連携して「持続可能な開発のためのアジア太平洋FBO連合(APFC)」を結成し、同年7月にモンゴルで開催されたアジア防災閣僚級会議に共同声明を提出しました。

そこには、私たち5団体の共通の決意を込めて、こう記しています。

「FBOの使命の根幹にあるのは、社会的な弱者を生む根本原因に対処する意志であり、社会の片隅(かたすみ)に置かれた人々に希望と幸福をもたらすことである」

「信仰を基盤にした団体は、防災とレジリエンスの構築と人道的な行動を地域で進める上で重要な役割を果たしている」と。

今後も、この精神を他のFBOと共有しながら、すべての人々の尊厳を守るための社会的包摂(ほうせつ)のビジョンを掲げて、レジリエンスの強化を後押ししていきたいと思います。

注5 仙台防災枠組

2015年3月、仙台での第3回国連防災世界会議で採択された国際的な指針。2030年までの防災達成目標として、被災者数の削減や重要インフラの損害の削減などの7項目を掲げたほか、国や地方自治体が優先すべき行動として、災害リスクの理解をはじめ、効果的な応急対応に向けた準備の強化と「より良い復興」などの四つの事項を挙げている。​​

 

 

【提言-8】「教育のための国際連帯税」を創設

 

「教育のための国際連帯税」を創設し人道危機下の子どもたちを支援

 

紛争や災害での心の傷を癒(い)やす

最後に第四の提案として述べたいのは、紛争や災害などの影響で教育の機会を失った子どもたちへの支援強化です。

持続可能な地球社会を目指すといっても、次代を担う子どもたちの人権と未来を守ることが要石となると考えるからです。

本年9月に発効30周年を迎える、子どもの権利条約は、今や国連の加盟国数よりも多い196カ国・地域が参加する、世界で最も普遍的な人権条約となりました。

教育の権利の保障も明記される中、条約の発効時には約20%に及んでいた、小学校に通う機会を得られていない子どもの割合は、今では10%以下にまで減少しました。

しかしその前進の一方で、紛争や災害の影響を受けた国で暮らす子どもたちの多くが深刻な状況に直面しています。

例えば、紛争が続く中東のイエメンでは240万人の子どもたちが学校に通うことができず、学校施設も攻撃を受けてひどく損傷していたり、軍事拠点や避難場所に使用されたりしている所が数多くあります。

また、気候変動の影響による災害が続くバングラデシュでは、多くの家族が貧困(ひんこん)や避難生活に追い込まれる中で、子どもたちの健康が危(あや)ぶまれているほか、教育の機会が失われている状態が広がっています。

紛争が続く中で学校の建設が滞り、屋外で授業を受ける中東イエメンの子どもたち。イエメンでは、紛争の影響で2500を超える学校が使用できない状態となっている(AFP=時事)

世界では、こうした紛争や災害の影響で教育の機会を失った子どもや若者の数は1億400万人にも及んでいますが、人道支援の資金の中で教育に配分されるのは2%ほどにとどまってきました。

食糧や医薬品などの物資の支援と比べて、“人命には直接関わらない”といった理由で、緊急事態が起きた直後の期間のみならず、復興に向けた歩みが始まった時期以降も、後回しにされがちになってきたからです。

しかし、ユニセフ(国連児童基金)が強調するように、子どもたちにとって学校の存在は、日常を取り戻すための大切な空間にほかなりません。

学校で友だちと一緒の時間を過ごすことは、紛争や災害で受けた心の傷を癒(い)やすための手助けにもなります。

こうした問題を踏まえて、4年前の世界人道サミットで設立をみたのが、ユニセフが主導するECW(教育を後回しにはできない)基金でした。

緊急時の教育に特化した初めての基金であり、現在まで、人道危機に巻き込まれた190万人以上の子どもや若者たちに教育の機会を提供する道を開いてきました。

緊急時の教育支援は、人道危機が長期化した場合の教育支援とともに、子どもたちが安心と希望を取り戻し、将来の夢を思い描いて前に進むためのかけがえのない基盤となるだけでなく、地域や社会にとっても平和と安定をもたらす源泉となるものです。

ECW基金のヤスミン・シェリフ事務局長は、こう述べています。

「もし、その社会の市民と難民の人々が、読み書きができず、論理的な思考ができず、教師や弁護士や医師もいない場合、どうやって社会経済的に発展可能な社会を築くことができるというのでしょうか」

「教育は、平和と寛容(かんよう)と相互尊重(そうどそんちょう)を促進するための鍵()です。

女の子と男の子が教育に平等にアクセスできた場合には、暴力や紛争が発生する確率は37%も減るのです」と。

 

「失われた世代」を生み出さない

国連のSDGsですべての子どもたちに質の高い教育をとの目標が掲(かか)げられる中、紛争や災害の影響を受けた国で暮らす子どもたちが、「失われた世代」として置き去りになるようなことは、決してあってはならない。

ECW基金が設立された2016年の時点での推計(すいけい)では、人道危機に見舞われた7500万人の子どもたちに基礎教育を提供するには毎年85億ドル、1人あたりで年間113ドルが必要になると見込まれていました。

現在、その対象人数は1億400万人に及び、必要額も増えているものの、世界全体の1年間の軍事費である1兆8220億ドルのほんの一部に相当する資金を国際的な支援などで確保できれば、厳しい状況にある多くの子どもたちが、希望の人生を歩み出すきっかけを得られるのです。

その意味で私は、誰もが尊厳をもって安心して生きられる持続可能な地球社会を築くための挑戦の一環として、ECW基金の資金基盤の強化を図り、緊急時の教育支援を力強く進めていくことを呼び掛けたい。

かつて私は2009年の提言で、国連が当時進めていた「ミレニアム開発目標」の達成を後押しするために、国際連帯税などの革新的資金調達メカニズムの導入を促進することを提唱したことがあります。

SDGsの推進において、その必要性はさらに増しており、「教育のための国際連帯税」の創設をはじめ、資金基盤を強化するための方策を検討すべきではないでしょうか。

 

改造されたバスを教室代わりにして、授業を受けるシリアの子どもたち。

ある地域では、紛争の影響で避難を強いられた子どもたちのために、昨年5月からバスを利用した教育が進められてきた(AFP=時事)

 

これまで連帯税としては、フランスなどの国々が導入している航空券連帯税(※注6)があり、エイズや結核やマラリアの感染症で苦しむ途上国の人々を支援するための国際的な資金に充てられてきました。

また5年前からは、発育阻害に苦しむ子どもたちを支援する国連の「ユニットライフ」の枠組みが進められています。

日本も昨年、開発のための革新的資金調達メカニズムのあり方を討議するリーディング・グループの議長国を務める中、7月に行われたG7(主要7カ国)開発大臣会合で、国際連帯税を含む革新的資金調達を活用する必要性について言及しました。

これまで日本は、内戦が続く中東のシリアで、ユニセフと連携して約10万人の小学生のために教科書を配布し、約6万2000人の子どもたちに文房具と学校用のカバンを支給してきました。

またアフガニスタンでも、支援が不足しがちだった地域で70校の学校を建設し、約5万人の子どもたちが学習にふさわしい環境で授業を受けられるようになっています。 

私は、教育分野の支援において豊かな実績を持つ日本が、「教育のための国際連帯税」をはじめ、さまざまなプランを検討する議論をリードしながら、ECW基金の資金基盤を強化するための枠組みづくりで積極的な役割を担うことを強く呼び掛けたいのです。

 

ラリー・ヒックマン博士(左端)とジム・ガリソン博士(左から2人目)とともに、人間教育を巡る語らい(2008年8月、長野研修道場で)。

ジョン・デューイ協会で会長を歴任した両博士と、その後も続けられた対話は、てい談集『人間教育への新しき潮流』として発刊された

 

避難した先で教育の機会を得ることが、子どもと家族の心にどれだけ希望を灯すのか。

その一つの例を国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が紹介しています。

――中米のニカラグアで2人の子どもと暮らしていたある母親は、情勢不安が続く中、葛藤(かっとう)を抱きながら隣国コスタリカへの避難(ひなん)を決めた。

「学校を辞(や)めさせ、避難することは苦しい決断でした。

でも、これ以上危険な目にあわせるわけにはいかなかった」と。

学校に在学証明書を取りに行くのも危険な中、小さなカバン一つで避難しなければならなかったため、子どもたちは避難先で学校に通うことができるだろうかと胸を痛めていたところ、コスタリカではすべての子どもに無償の初等教育が保障されていた。

特に、避難民がいるコスタリカ北部の小学校の多くでは、公的な書類がなくても入学でき、避難で学習が遅れてしまった子どものために補習などのシステムまで用意されていた。

そのおかげで、2人の子どもたちも教育の機会を取り戻すことができた。

14歳の兄は、「今一番うれしいことは勉強できること。

将来はお医者さんになりたい」と目を輝かせ、10歳の妹と手をつないで元気に学校へ通うようになった。

学校の教員も、「故郷を離れなければならなかった子どもたちが、学校を家のように感じられるようになれば」との思いで迎え入れている――と。

(UNHCR駐日事務所のウェブサイトを引用・参照)

人道危機によって教育の機会を失った1億400万人という膨大(ばくだい)な数字の奥には、一人一人の子どもの存在があり、人生の物語があります。

この子どもたちにも同様に教育の機会が確保されれば、彼らが生きる希望を取り戻し、夢に向かって進むための足場となるに違いないと訴えたいのです。

 

「創価教育学体系」に脈打つ牧口会長と戸田会長の精神

 

ランプの絵柄に込められた思い

私どもSGIも、社会的な活動の三つの柱として、平和や文化とともに教育に力を入れ、「民衆の民衆による民衆のためのエンパワーメント(内発的な力の開花)」の取り組みを、世界192カ国・地域で進めてきました。

その精神の源流を象徴するような絵柄が、ともに教育者だった牧口初代会長と戸田第2代会長の師弟の絆(きずな)によって、今から90年前(1930年11月18日)に発刊された『創価教育学体系』の扉に描かれています。

ランプの先に灯された火が光を放つ姿をイラストにしたもので、その絵柄はケースにも描かれ、本の表紙にも刻印されていました。

社会が大きな混乱(こんらん)や脅威(きょうい)で覆(おお)われた時、その嵐に容赦(ようしゃ)なくさらされ、激しい波に特に翻弄(ほんろう)されるのは、常に子どもたちです。

その状況に胸を痛めた牧口会長は、小学校という教育の最前線に立ち続け、子どもたちの心に希望を灯すことに最大の情熱を注ぐ一方で、幸福な人生を切り開く力を養(やしな)うための人間教育のあり方を探求し、『創価教育学体系』という大著に結晶させていったのです。

 

 

1930年11月18日に発刊された『創価教育学体系』第1巻。

本のケースには、牧口初代会長の名前の下にランプの絵柄が。

その同じ絵柄は、本の扉にも描かれている

 

牧口会長は30代の頃、日露戦争の最中にあって、日本で立ち後れていた女性教育の普及のために力を注いだ経験がありました。

しかも、戦争で父親が亡くなったり、傷病を負ったりしたことで経済的に困窮する家庭が増える中で、授業料の全額免除や半額免除の制度まで設けていました。

また40代には、貧困家庭のために特別に開設された小学校で校長を務め、病気の子どもの家に見舞いに行って自ら世話をしたほか、食事が満足にできない子どもたちのために学校給食を実施していたのです。

いずれも、牧口会長自身が家庭的な事情で十分に教育を受けられなかった時期があり、その辛さが身に染みていたからこその行動だったのではないかと思えてなりません。

そして50代の時には、関東大震災(1923年)で罹災(りさい)したために転校を余儀(よぎ)なくされた子どもたちを受け入れ、学校として学用品を用意したほか、教え子たちの置かれた状況が心配で、かつて校長を務めた小学校のある地域にまで足を運んでいたのです。

弟子である戸田会長も、戦時体制下の1940年以降の時期に、子どもたちのために35冊に及ぶ学習雑誌を発刊していました。

軍部政府の思想統制が強まる中で牧口会長とともに投獄(とうごく)され、牧口会長が獄中で生涯を閉じた後も、子どもたちの幸福を願う思いは消えることはなかった。

2年に及ぶ獄中生活にも屈(くっ)することなく、出獄をした翌月に終戦を迎えた時、即座に立ち上げたのも子どもたちのための通信教育でした。

戦後の混乱で十分に機能しない学校が多い中で、教育の機会を途切れさせないために率先して道を開こうとしたのです。

 

昨年2月、アメリカ創価大学で行われた第15回「創価教育シンポジウム」。

学生や教職員をはじめ、各国の学識者らが出席し、国連のSDGsの達成に向けて創価教育がどのように貢献できるかについて探究した(カリフォルニア州オレンジ郡のアリソビエホ市で)

 

このように牧口会長と戸田会長の胸中には、“いかなる状況に置かれた子どもたちにも、教育の光を灯し続けたい”との信念が脈打っていました。

創価学会の創立の原点でもある『創価教育学体系』の扉に描かれたランプの灯火には、そうした二人の先師の誓いと行動が込められている気がしてならないのです。

ランプの姿がいみじくも物語るように、教育の光は誰かの支えがなければ途切れてしまうものです。

情熱を注ぎ続ける人々の存在があり、その人々を支える社会があってこそ輝き続けるものにほかなりません。

私も先師の思いを受け継いで、東京と関西の創価学園や創価大学をはじめ、アメリカ創価大学やブラジル創価学園などの教育機関を創立するとともに、各国の教育者との対話を重ねながら、子どもたちの尊厳と未来を支える「教育のための社会」を建設する挑戦を半世紀以上にわたって続けてきました。

今後もSGIは、「教育のための社会」の重要性を訴える意識啓発に努めるとともに、気候変動をはじめとする地球的な課題に取り組む連帯を広げるために、「民衆の民衆による民衆のためのエンパワーメント」を力強く推進していきたいと思います。

  

                

注6 航空券連帯税

途上国でのエイズや結核やマラリアの治療普及を支援する国際機関のUNITAIDに対し、資金を拠出する目的で、国際線の航空券などに一定額(エコノミークラスで数百円程度)を課税する制度。2006年にフランスが最初に導入した。UNITAIDではその資金を活用して、大量購入と引き換えに割安価格で薬の提供を受け、治療の普及を促進してきた。​​​​

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        

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