第一の七つの鐘が鳴り終わった1979年に


 第一の七つの鐘が鳴り終わった1979年に、池田先生は一人、戦闘を開始した
 一九七九年(昭和五十四年)の四月二十四日、全国の代表幹部が元気に新宿文化会館に集った。新たな「七つの鐘」を打ち鳴らす再出発のはずの会合は池田第三代会長の「勇退」 と、新会長の発表の場となった。

 「賢者はよろこび愚者は退く」(1091頁)。
  挑戦すべきことがあればあるほど、いよいよ喜び勇んで進め!
 さっそうと戦え! これが日蓮大聖人の教えであり、青年の究極の生き方ではないだろうか。
   
  全世界の同志に衝撃が走った。 そして迎えた五月三日、創価大学の体育館で第四十回本部総会が開かれた。 開会前の午後二時。妬みと冷酷な鉄面皮の僧侶を乗せたパスが大学に到着した。
   池田名誉会長は、「ドアの前に立ち、礼儀を尽くして、彼らに挨拶した。ところが、僧侶たちは挨拶一つ、会釈一つ返すわけでもなく、冷酷な無表情で、傲然と通り過ぎていった」(「随筆 新・人間革命」80
  総会が始まった。名誉会長への拍手も、遠慮がち。退場の際も、戸惑いがちの拍手だった。開会前に、ある青年部幹部がこう注意したからだ。「宗門がうるさいから、今日は、あまり拍手をするな。特に、先生の時は、拍手は絶対にするな」(同)
  池田名誉会長はは総会が終わり、名誉会長は宗門の高僧や坊主の控室を訪ねた。 「丁重に挨拶をしたが、フンとした態度であった。これが人間か」 (同)。
  その陰険で、傲慢な姿に、学会を奴隷のようにあつかおうとする下心が透けて見えた。 「私は思った。宗門と結託した、学会撹乱の悪辣なペテン師たちは、これで大成功したと思い上がったにちがいない。(中略)その陰湿さと傲慢さが、私には、よく見えていた。私は、ずる賢き仮装の連中の実像を、その行動から見破ることができた」(同)
  
 名誉会長は、神奈川文化会館へと向かった。
  「誰が何と言おうが、私は私の信念で勝つことを決心した。そして、ただ一人、今まで以上の多次元の構想をもちながら、戦闘を開始した」(同)

 「5年」 ごとの前進
   
  嵐の「4・24」の前年の「11・18」 創価学会創立記念日。
 当時、悪辣な宗門と反逆の退転者らが結託し、会長を倒そうと、謀略と弾圧を加えていた。
  「心痛に、夜も眠れなかった。私は、けなげな創価の同志を守るため、一心不乱に、僧俗の和合の道を探り続けた」(同)
  言語に絶する暴圧のなかで、池田会長(当時)は、二十一世紀の黎明に向けて、「五年ごとの目標」を発表した。それは来るべき日を覚悟しての指針だったかもしれない。
 「五年ごとの目標」の第一期(一九八年〜一九八五年)、すなわち「会長勇退」(一九七九年=昭和五十四年)の翌年からの「五年」の目標は何か。それは、ただただ「人材育成」であった。
 「人材(育成)即広布(推進)」(一九七八年十一月十八日)
 「第一にも第二にも信心に徹した人物を」(同)
 「一人一人を磨きに磨いて育てていきたい」(同)
 一九八四年五月、島根県記念幹部会の席上、名誉会長は、「五年ごとの前進」は「いまなお不変である。(中略)この路線を歩んでいくかぎり、学会の発展は疑いないと考える」と、再び全世界に向けて訴えた。
 名誉会長は後に記している。「師弟の両者が一つの姿で、無限に戦い、舞い、走り、勝利しゆく。私は、その新しき時代の、新しき伴侶を待っていた」(「随筆 新・人間革命」80
 「私もただ、青年が立ち上がるのを待ちながら、耐えに耐え、時をかせいでいる」(一九九六年十一月二十一日)
 「この間、(二十一世紀の)第二の『七つの鐘』に向けて、私は人知れず手を打ってきた」(一九九五年三月十一日)
   青年よ、立て! 青年よ、育て! 青年よ、強くあれ!
   
 勝負を決する年

  創価の同志は、二○○一年を迎えた。「大悪をこれば大善きたる」(1300頁)の御金言のままに、 「痛快なドラマ」をつづりながら。
  名誉会長は記した。
  「何ものをも恐れぬ青年たちは立ち上がった」(「随筆 新・人間革命」194
 「雄々しき創価の同志は大地を揺るがし、総立ちになった!」  (同)            
  本年は、「戸田先生の会長就任五十周年」「聖教新聞の創刊五十周年」。さらに、世界一の婦人部も、後継の男子部、女子部も、「結成五十周年」を迎える。そして、アメリカ創価大学オレンジ郡キャンパスの開学の年である。
  二○○○年の最後の本部幹部会で、名誉会長は語った。
  「はるかな未来のためにも、二○○一年からの最初の七年間が大事である。なかんずく、明二○○一年が、一切の勝負を決する年となろう」(十二月十八日)
  本年こそ数世紀先までの勝負を決する年である。
           
  名誉会長は青年に贈った。
  「新たな世紀の『七つの鐘』は、敵に奪い取られることなく、強者の魂を持てる君ら青年たちが、永遠の勝利の祝宴をあげるために、全責任を担って乱打するのだ」(「随筆 新・人間革命」194

  永遠の勝利と栄光の新しい世紀を、青年は、創り残す!

 第二の 『七つの鐘』 とともに
        
 ★
 第2の「7つの鐘」  21世紀の前半の50

 「アジアをはじめ世界の平和の基盤をつくってまいりたい」

 ★ 第3の「7つの鐘」  21世紀の後半の50
    
 
「『生命の尊厳』の哲学を時代精神に し、世界精神へと定着させたい」

 ★第4の 「7つの鐘」   22世紀の前半
     
 
「世界の『恒久の平和』の崩れざる基盤をつくりたい」

 ★第5の「7つの鐘」  22世紀の後半

  第4の「7つの鐘」の基盤のうえに、 「絢欄たる人間文化の花が開いていくで あろう」

 ★第6、第7の「7つの鐘」
          
  第5の「7つの鐘」が実現すれば、 「第6の『7つの鐘』、第7の『7つの鐘』と進みゆく。日蓮大聖人の立宗千年(2253年)を迎える23世紀の半ばごろから、新たな展開が始まるであろう」

  池田名誉会長は語った。

  「広宣流布は「末法万年」の長期戦であるゆえに、50年、100年単位で展望しながら、『今』を勝っていくことが正しい軌道だからである。私は万年を見つめて、着々と手を打っている」

 

 

 

 

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